(参照:アムステルダムで『彼女』に会った(その2)【ヨーロッパ出張記】の続き)
2017年7月4日未明、エヴァンジェリスト氏は、痒みに目が覚めた。体の幾箇所も蚊に刺されていたのだ。
足にできた湿疹の治療の為、皮膚科で処方してもらっていたVG軟膏を塗りまくった。
蚊は怖い。
アムステルダも、怖かった。いや、怖いと思い込んでいた。
1989年7月2日(今から28年前だ)に到着したアムステルダムには、7月5日まで滞在したが、その間、少しだけした仕事以外では、エヴァンジェリスト氏は、宿泊したホテル・オークラ・アムステルダムから、殆ど外に出ようとはしなかった。
怖かったのである。アムステルダムの街が怖かったのだ。
……..路地裏では、大柄のオランダ人が、服の胸ポケットから麻薬とピストルとを取り出し、それを背の低いフランス人らしき男に金と引き換えに渡している…….
…….アムステルダムの街に、そんな光景を想像し、エヴァンジェリスト氏は、ホテルの部屋でテレビを見たり、ホテルの部屋の窓からアムステルダムの街を眺めて観光気分を味わおうとしたのであった。
しかし、勇気を振り絞って、少しだけ外出はしたのである。
アムステルダムの街は怖かったが、ずっとホテルの部屋にいたことが、妻にバレると猛烈に怒られるのだ。オランダのギャングより、妻の方が怖かったのだ。
妻に云わなければバレることはないが、正直者のエヴァンジェリスト氏は、何もかも夫人に報告するのだ。
オランダにピーター・アーツやアーネスト・ホーストがいることを知っていたら、もっと怖かったかもしれない。
アーツもホーストも既にキックボクサーとしてデビューしていたが、当時、「K-1」は始まっておらず、エヴァンジェリスト氏は、彼らのことを知らなかった。
アーツにせよ、ホーストにせよ、ギャングでもなければ、荒くれ者でもなかったであろうが、ハイキックを振り回す彼らのような大きな男たちが、オランダにはいる、と思うと、チビリそうになるではないか。
クリス・ドールマンは、その年(1989年)、第2次UWFで前田日明と対戦していたが、テレビ放映のないUWFをエヴァンジェリスト氏は見ておらず、ドールマンのことはよく知らなかった。
ドールマンは、1976年、猪木さんと戦ったウイリアム・ルスカのセコンドとして初来日し、戦意喪失のルスカにタオルをリングに投げ込んだらしい。その様子はテレビで見ていたが、見ていたのはルスカであり、ドールマンのことは認識していなかった。
ドールマンは、格闘家ではあるが、用心棒をしており、その顔役でもあったようだ。
当時、ドールマンのことを知っていたら、エヴァンジェリスト氏は、アムステルダムのことをもっともっと怖がったかもしれない。
いやいや、エヴァンジェリスト氏は、そうとは認めまい。
エヴァンジェリスト氏は、アマチュア・プロレスラーの強豪だ。アーツもホーストも、ドールマンも怖くなんかない、と云ったであろう。
猪木さんが、ルスカを仕留めたように、エヴァンジェリスト氏も、彼らを難なく仕留める自信はある、と云ったであろう。
アムステルダムの街で騒ぎを起こしたくはないが、ギャングや用心棒と対峙すると、本能的に戦ってしまい、彼らの肋骨の5本や6本は折ってしまうであろう自分が怖い、そう云ったであろう。
エヴァンジェリスト氏は、何しろ、女性を襲った暴漢を一切、手を触れることなく逮捕したこともある、伝説の強者であったのだ。
「ギャングよ、来るなら来てみろ!」
心の中でそう叫びながら、エヴァンジェリスト氏は、アムステルダムの街を散歩した。
(続く)
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