1989年6月25日から7月2日まで、エヴァンジェリスト氏が出張で滞在したパリは、「bicentenaire」であった。
「Le bicentenaire de la Révolution」、革命200年祭である。
メトロも「bicentenaire」仕様であった(1789年と印刷されていた)。
しかし、エヴァンジェリスト氏は、「bicentenaire」を楽しむ為にパリに行ったのではない。仕事だ。出張旅行なのだ。
某社の美人受付嬢に、「Bienvrnue!(いらっしゃいませ!)」と迎えられた。
別の会社では、勤務スペースまで入れてもらった。
提携先の人たちと会食もした。
「Bateaux-Mouches(バトー・ムーシュ)」(有名なセーヌ川の遊覧船)で、食事をご馳走にもなった。
一週間余りパリにいて、エヴァンジェリスト氏は、フランス人の見方が変った。
フランスに来るまで、
「奴ら、仕事をしないなあ」
と、フランス人について思っていた。
「奴ら、仕事をしないなあ」
と、フランス人について思っていた。
だが、パリにいる間に、エヴァンジェリスト氏の考え方は変った。
「日本人は何故、そんなにあくせく働くのだ。残業しなくたっていいじゃないか」
そう思うようになった。
「残業してその日中にやることと、翌朝やることにどれだけの違いがあるのだ」
どうして、そう思うようになったのか?
6月末から7月初旬のパリは、日が長い。午後10:30頃にようやく陽が沈むのだ(サマー・タイムのせいもあるが)。
終業時間(午後5時、或いは、午後5時半)はまだ、真昼間なのだ。そこから10時半までまだ5時間はあるのだ。もう1日あるのだ。
その『一日』(その5時間)を楽しまずしてどうするのだ!?
「日本人も、もっと人生を楽しむべきだ。我ら(日本人)に自由を!そう、『A nous la liberté!』」
1989年7月2日、パリからアムステルダムに向う飛行機の中でも(1時間余りのフライトながら食事が出たことに驚いた)、エヴァンジェリスト氏は心の中で叫んだ。
「A moi la liberté(自由を我に)!A nous la liberté(自由を我等に)!」
しかし、オランダから日本に帰ったエヴァンジェリスト氏は、程なく、普通の日本人同様、夜遅くまで残業をするようになったのだ。
そうして、それから30年近く後に、エヴァンジェリスト氏は、「仕事依存症」と診断されることになったのである。
さあ、今こそ、
「A M. Evangelist la liberté(自由をエヴァンジェリスト氏に)!」
(おしまい)
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