(参照:アムステルダムで『彼女』に会った(その5)【ヨーロッパ出張記】の続き)
2017年7月5日午後、三陸鉄道久慈駅は、人影もまばらであった。『あまちゃん』で『北三陸鉄道 北三陸駅』となった駅である。
1984年、『北三陸鉄道』が開業した日(4月1日のはずだ)、そこにはドラマがあった。『あまちゃん』こと『天野アキ』の母親である『天野春子』が、北三陸鉄道に乗って故郷を飛び出したのだ。
その18歳の『天野春子』を演じたのは、現在(2017年7月)、『あまちゃん』と同じくNHKの朝ドラである『ひよっこ』の主人公『谷田部みね子』を演じている『有村架純』である。
『有村架純』は、『あまちゃん』こと『天野アキ』を演じた、『本名・能年玲奈』の『のん』よりも今、売れている。
1989年(今から28年前だ)の7月5日のアムステルダムで遭遇した『彼女』は、『有村架純』よりも、はるかに有名な日本人女性であった。
その『彼女』に会う前、エヴァンジェリスト氏はまだアムステルダムの街を彷徨い、チーズ屋さんでゴーダチーズも見かけていたが、その時(1989年当時)、本場のゴーダチーズを食べておけばよかった、と後にエヴァンジェリスト氏は後悔する。
しかし、ゴーダチーズに限らず、1989年7月のエヴァンジェリスト氏は、折角、オランダにいたにも拘らず、現地の食べ物を殆ど、いや全く口にしなかった。
上司と一緒で、上司が食べたいものをただ一緒に食べただけであったからだ。
上司は、日本食を食いたい、と云った。
そして、そこには日本食を食べさせてくれる店がちゃんとあったのだ。
上司とエヴァとは、ホテル・オークラ・アムステルダムにある和食レストランに行った。滞在中、そこにしか行かなかったように記憶する。
『山里』という名前の和食レストランであったかと思う。
その『山里』で、エヴァンジェリスト氏は『彼女』に会ったのである。
『彼女』は『山里』に入ってくるなり、大きな声で云った。
「この人たち、ニューヨークから来たの。美味しいものを食べさせてあげて!」
『この人たち』とは、欧米人であった。
そして、『この人たち』と云った『彼女』は黒っぽい服装をした日本人女性であった。
日本人女性と分ったのは、
「この人たち、ニューヨークから来たの。美味しいものを食べさせてあげて!」
と云った言葉が、日本語であったからだ。
そして、『彼女』をエヴァンジェリスト氏は知っていたからであった。
『彼女』に会ったのは、その時が初めてであったが、『彼女』のことは知っていた。『彼女』は有名人であったからだ。
『彼女』は、世界的な有名人であった。
『彼女』は、オノ・ヨーコさんであった。
エヴァンジェリスト氏は、ビートルズ・ファンでも、ジョン・レノンのファンでもなかったが、ジョン・レノン夫人であるオノ・ヨーコさんのことは知っていた。
オノ・ヨーコさんが何故、アムステルダムにいたのか、エヴァンジェリスト氏は知らなかった。興味もなかった。
オノ・ヨーコさんを和食レストラン『山里』で見かけて、
「あ、オノ・ヨーコだ」
と思っただけであった。
ジョン・レノンのファンであれば、その時、オノ・ヨーコさんが何故、アムステルダムにいたのか、は分からないにしても、オノ・ヨーコさんがアムステルダムにいることに感慨を抱いたはずであった。
アムステルダムは、ジョン・レノンとオノ・ヨーコさんが平和を訴えるパフォーマンス「ベッドイン」を行った地であったからだ。
しかし、エヴァンジェリスト氏は、その時、ただ
「あ、オノ・ヨーコだ」
と思っただけであったのだ。
そして、そのまま、「寒かった」、という思い出くらいしか持たないまま、1989年7月5日、アムステルダム・スキポール空港から日本へと帰国の途についたのであった。
飛行機は、途中、アンカレッジを経由した。当時は、日本-ヨロッパの飛行機便は、給油の為に、アラスカのアンカッジを経由していたのだ。
アンカレッジの空港に降り立った時、エヴァンジェリスト氏は感慨にふけった。
「ああ、ここが、『アンカレッジ経由パリ行き』のアンカレッジか」
と。
『アンカレッジ経由パリ行き』は、当時のアイドル歌手『秋ひとみ』の歌であった。
エヴァンジェリスト氏には、『オノ・ヨーコ』ではなく『秋ひとみ』であったのだ。
(おしまい)
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