2017年7月8日土曜日

à moi la liberté(自由を我に)【ヨーロッパ出張記】(その1)



「A moi La Liberté!」

とエヴァンジェリスト氏は、ホテル・カリフォルニアの部屋で叫んだ。

1989年6月のパリでのことであった。

「A moi La Liberté(自由を我に)!」

魂の叫びであった。エヴァンジェリスト氏には、自由がなかったのだ。



1989年6月25日、エヴァンジェリスト氏は、シャルル・ドゴール空港に降り立った。

Voulez-vous nous conduire à L’Hotel California?」

タクシーの運転手に、ホテル・カリフォルニアまで行くようお願いした。

必死のフランス語で依頼した。

フランス文學界の最高峰のOK牧場大学大学院の修士課程を修了したものの、エヴァンジェリスト氏は、フランス語を聞き取る訓練も喋る訓練も受けたことはなかったのである。

しかし、フランス語を知らない訳ではない。予め、タクシーに乗車して、どう行き先を告げればいいのか確認しておき、必死で云ったのだ。

Voulez-vous nous conduire à L’Hotel California(ホテル・カリフォルニアまでお願いします)?」

ホテル・カリフォルニアは、パリは凱旋門近くにあるホテルである。4つ星デラックスの老舗ホテルであった。



当時、まだ35歳であったエヴァンジェリスト氏には少々豪華すぎるホテルであったかもしれない。

しかし、出張で訪問した先の相手に、どこに泊まっているのか、訊かれた時に恥ずかしくないホテルを、と同行した上司が考えたのである。

その点だけは、上司は正しかった、その点だけは。

その時、エヴァンジェリスト氏には『自由』はなかった。ホテル・カリフォルニアにチェックインする前から、『自由』はなかった。

いや、パリに入る前から、いやいや、シャルル・ドゴール空港に到着する前から、エヴァンジェリスト氏には『自由』はなかったのだ。

「A moi La Liberté!」




ホテル・カリフォルニアの中庭に面した部屋で、エヴァンジェリスト氏は叫んだ。



(続く)









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