(参照:アメリカに自由はあったか(その3)【米国出張記】の続き)
シンガポール航空は、最高であった。
京成上野まで乗ったタクシーでのイライラも、『スカイライナー』車中の不安も忘れ去り、シンガポール航空のジャンボ機内で満悦を得ていたエヴァンジェリスト氏であった。
JAL便に間に合わなかったことでむしろ、想定外の幸せを得られたのであった。
しかし、「世界一周の旅」(世界一周の出張)は、やはり苦難の旅であった。
そのことを、エヴァンジェリスト氏は、食後、程なくして思い知ることになった。
食事も、それを給仕してくれた『サロンケバヤ』を着た日本人『スチュワーデス』も、最高であった。
エヴァンジェリスト氏が座ったアッパーデッキ(ビジネス・クラス)の窓側の席は、2列シートの隣席は空いており、シートと窓との間には、荷物用ボックスがあるので、かなり空間に余裕があった。
前の席、後ろの席も空席であった。なので、座席を思い切り倒し、荷物用ボックスに脚を乗せると、フラットなベッドに近い状態にすることさえできるのであった。
「京成上野」を知らなかったタクシーの運転手さんに感謝した。
JAL便で先に発った上司と後輩のことが気にはなった。ロサンゼルスに着いたら、連絡を入れ、謝り、落ち合わないといけない。
しかし、まあいいさ。彼らも子どもじゃないし、それに、こちらも少し遅れはするだろうけれど、ちゃんとロサンゼルスに着くのだ。気にしないことにした。少なくとも、フライト中に気を揉んだところでどうしようもない。
そんなことよりも快適なシンガポール航空を楽しめばいいのだ。
窓の外を見た。殆どが海であったが、どこか知らないが、陸地が見えた時もあった。
エヴァンジェリスト氏の「世界一周の旅」(世界一周の出張)は、やはり苦難の旅であったのだ。
うーむ。まあ、国際便からの景色は、そんなものだ。海外出張は、これが2回目であった。
まあ、のんびり行くさ。では、少し寝ようかな……そう、思った時であった。
「Hi ! Mr. Evangelist!」
と声をかけられた。
視線を窓外から、機内に回した。
前の席の通路側のシートの背に片肘をついた男が、笑顔で親しげに話しかけてきていたのだ。
『スチュワード』であった。今で云うなら、男のCAだ。
イケメンの『スチュワード』だ。しかし、イケメンであろうとなかろうと、エヴァンジェリスト氏は、男には関心はなかった。
話しかけてくるなら、『サロンケバヤ』を着た『スチュワーデス』にして欲しかった。
イケメンの『スチュワード』は、シンガポール人であった。多民族国家のシンガポール人とはどんな人かは知らなかったが、シンガポール人だと思った。少なくとも日本人ではなかった。
風貌も日本人とは見えなかったし、何より言葉が日本語ではなかった。英語で話しかけて来ていたのだ。
「Hi ! Mr. Evangelist!」
と云った後も、英語で何だか楽しげに話しかけて来ている。
「Hi ! Mr. Evangelist!」以外は、何を云っているのか、全く分らない。
乗客が退屈しないように、と気を遣い、話しかけて来たようではあった。
「Hi ! Mr. Evangelist!」
の後も、やけにフランクな感じで、言葉をかけて来た、というか、何か質問をして来ているようであった。
その質問が何かは分らなかったが、ただ黙っている訳にもいかないので、
「Oh! I will go to Los Angeles.」
と、Los Angels 行の航空便の『スチュワード』に云ってしまっていたが、その愚かしさにも気付かず、続けた。
「After visiting Los Angels, I will go to New York, Paris and then Amsterdam.」
中学生英語だ。
海外に提携先のあるビジネスをしているので、エヴァンジェリスト氏は、普段、英語を使ってはいた。
ただ、日常的には、英語を聞いたり、喋ったりはしていなかった。海外の提携先とは、主に、メールのやり取りであった。電子メールだ。
1989年頃のことだ。今でこそ、日本人は日常的に電子メールを使っているが、30年も前に、エヴァンジェリスト氏は電子メールを使いまくっていた。
だから、英語の読み書きはできないではなかった。典型的な日本人の英語力の持ち主と云えた。
稀に提携先の米国人が来日し、英語で話す必要に迫られることがあった。また、顧客として外資系企業があり、そこにいる外国人と英語で話す必要に迫られることもあった。
そこで、外国人と英語で話すときのある種のコツを身につけてはいた。
相手の云うことが分らない場合は(殆どの場合、分らないのであるが)、迂闊に「Yes/No」で答えてはならない。
質問が聞き取れていないのに、「Yes/No」で答えると、真逆な回答をする可能性があるからだ。
そんな時は(繰り返しになるが、殆どが『そんな時』だ)、「Yes/No」で答えず、自分が云いたいことを云うのだ。そうすれば、少なくとも間違った回答をすることはない。そのリスクは避けることができるのだ。
だから、イケメン『スチュワード』に何か話しかけられた時も、それが質問であるのかないのかさえ、よく分らなかったが、『自分は、ロザンゼルスに行く」とか『その後、ニュー・ヨーク、パリ、アムステルダムに行くのだ』と云ったのであった。
それが、『エヴァンジェリスト流』英会話術であった。実のところ、『会話』になっていたかどうかはわからなったが。
イケメン『スチュワード』とは、そんな『会話』をしたが、疲れた。
提携先の外国人や外資系の顧客の外国人と英語で話すことは、嫌だが、仕事だから仕方がない。
しかし、イケメン『スチュワード』は、提携先の人でも顧客でもない。それなのに、何故、必死になって『会話』になっていない可能性も高い『英会話』をしなくてはならないのだ。
放っておいて欲しい。構わないていて欲しかった。
イケメン『スチュワード』が話しかけて来たのも、シンガポール航空流の『おもてなし』であろうとは思った。それも、シンガポール航空の素晴らしさのひとつであるのであろうとは理解はできた。
しかし、仕事でもないのに、辛い英会話をしたくはなかった。
ロサンゼルスに到着するまで、幾度か、イケメン『スチュワード』はエヴァンジェリスト氏に親しげに話しかけて来た。
シンガポール航空の素晴らしは忘れられず、エヴァンジェリスト氏は今でも、他人にシンガポール航空の利用を勧める程ではある。
だが、イケメン『スチュワード』の『おもてなし』は辛かった。
エヴァンジェリスト氏の苦難の旅は、続いたのであった。
(続く)
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