(参照:アメリカに自由はあったか(その13)【米国出張記】の続き)
あの時、自分が別の判断をしていれば……..
サンペイ先輩と、ニューヨークはグランド・セントラル駅から乗った電車の中で、アメリカ人通勤客を見ながら、思った。
あの時、自分が別の判断をしていれば……..
1989年6月23日(2017年の今から28年前のことだ)、サンペイ先輩とエヴァンジェリスト氏とは、ニューヨーク郊外の米仏合弁の提携先企業に向った。
途中に、サンペイ先輩のアパートメントがあるので、そこに立ち寄った。
前の晩遅くまで(というか、その日の未明まで)カラオケ・スナックにいた為、自分のアパートに帰れず、サンペイ先輩は、ホテル「Grand Hyatt New York」の上司の部屋に泊った(いや、2時間をそこで過ごした)のであったのだ。
そこで、シャワーと着替えの為、サンペイ先輩は、自分のアパートメントに立ち寄ることにしたのである。
エヴァンジェリスト氏も、サンペイ先輩のアパートメントに入った。上司は、一緒ではなかった。
その日の未明までカラオケ・スナックで飲んだくれた上司は、待合せの7時に起きて来れなかった。先に訪問先に向うよう云うので、サンペイ先輩と先に電車で郊外に向ったのである。
上司には、サンペイ先輩のアパートメントに立ち寄っている間に、追いついてくれればよかった。
サンペイ先輩のアパートメントは綺麗であった。アパートメントは、日本の『アパート』ではなかった。日本風に云うなら『マンション』であろう。
リビング・ルームには暖炉もあった。
単身赴任であったが、台所も綺麗に使っていた。
綺麗なアパートメントにいて、エヴァンジェリスト氏は再び、思った。
あの時、自分が別の判断をしていれば……..
それは、4-5年前のことであった。
今回一緒に出張している上司が、その更に2年前、約1年間、ニューヨークに駐在した。米国の提携先企業のニューヨーク・オフィスにいたのだ。そこで、英語を殆ど話すことなく、ごしたことは既に紹介した。
その駐在を継いだのが、サンペイ先輩であった。
サンペイ先輩もおよそ1年、ニューヨークにいた(今回=1989年の赴任の前の、初の海外赴任であった)。
サンペイ先輩は、その時は夫婦で赴任された。サンペイ先輩は、英語は上手いといは云えなかったが、ある程度は話すことはできた。
そのサンペイ先輩のニューヨーク駐在の後を継ぐことになっていたのが、エヴァンジェリスト氏なのであった。
しかし、上司は、ニューヨーク駐在が1年では仕事らしい仕事はできないので、エヴァンジェリスト氏には2-3年はニョーヨークに居させたい、と考えた。
何れにしても、ニューヨーク駐在の指示がエヴァンジェリスト氏に下された。
エヴァンジェリスト氏は、そのことを当然、妻に告げた。妻も一緒にニューヨークに行くことになるからであった。
妻は、海外赴任の準備を始めた。何事も完璧を期す女性である。
ニューヨークのサンペイ先輩からも、アパートの室内の写真と間取り図が送られて来た。サンペイ先輩夫婦が住むアパートをそのまま引き継ぐ予定であったからだ。
しかし、米国に仕事で2-3年赴任することは容易ではなかった。エヴァンジェリスト氏の会社は、米国に現地法人を持っていなかった。
ワーキング・ビザが容易にはおりないのだ。
上司と一緒に駐日米国大使館にも行き、相談したが、どうにもワーキング・ビザが取れそうにはなかった。
親会社は、米国に現地法人を持っているので、親会社に出向した形をとり、そこか親会社の現地法人に更に出向するようにすれば、ワーキング・ビザは取れなくはなかった。
しかし、親会社の現地法人に出向することによりワーキング・ビザを取る場合、米国人を数人、親会社の現地法人は雇用する必要が生じるのであった。日本人一人が、ワーキング・ビザを取り、米国で仕事をする場合には、米国人を数人、親会社の現地法人は雇用しなくてはならないのだ。
それは現実的ではなかった。
形式上は、親会社の現地法人に出向したようにするが、現実には、米国の提携先企業のニューヨーク・オフィスに席を置くのだ。その為に、親会社の現地法人が米国人を数人、雇用することはない。
しかし、上司は、エヴァンジェリスト氏に、予定通りニューヨークに赴任してもいい、と云った。
「俺、お前に、赴任の指示出してたからな。1年だけの駐在になるし、観光半分、仕事半分になるけど、ニューヨーク行っていいよ。どうする?」
と訊かれた。
その時、エヴァンジェリスト氏は、即、回答した。
「いえ、いいです。ニューヨークに行かなくていいです」
あの時、自分が、
「はい、行きます。ニューヨークに行きます」
と云っていれば、先程のようにニューヨークの通勤電車に乗るようになっていたであろう。
そして、今いるアパートメントではないが、サンペイ先輩から綺麗なアパートメントを引継いでいたであろう。
そう思った。そして、そう思った瞬間、ブルルと震えた。
妻の顔が目の前に浮かんできた。怒髪天をついた妻の顔である。
「どうしてくれるのよお!」
ニューヨーク行きを断ったことを報告した時のことであった。
「年賀状に書いたのよ!みんなに書いたのよ、来年の今頃はニューヨークにいますって!どうするのよお!何故、勝手に断るのおおおお!」
申し訳なかった、と思った。サンペイ先輩のアパートメント見て、あらためてそう思った。
今でも、『ニューヨーク』と聞くと、或いは、テレビで『ニューヨーク』が映ると、妻は不機嫌になる。エヴァンジェリスト家では、『ニューヨーク』はタブーだ。
あの時、自分がニューヨーク赴任を断っていなければ、息子は米国で生まれていたかもしれない。そうすると、成人するまでは二重国籍となり、国籍選択の際に米国を選び、今頃はアメリカ人となっていたかもしれない、とも思った。
しかし、過去は取り戻せない。まあ、仕方がない、と思うことにした。
だが、過去は取り戻せないであろうが、過去に行ったことのバチは当るのだ。そのことをエヴァンジェリスト氏は思い知らせることになるのだ。
シャワーを浴び、着替えを済ませたサンペイ先輩が、リビングルームに現れた。
「じゃ、ちょっと(上司に)電話するわ」
え?まだ、上司はまだホテルにいるのだろうか?これからホテルを出て、米仏合弁の提携先企業訪問に間に合うのだろうか?
サンペイ先輩は、自宅アパートメントの電話機のボタンを押し、「Grand Hyatt New York」に電話を掛けた。
(続く)
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