(参照:アメリカに自由はあったか(その2)【米国出張記】の続き)
「とにかく、次の『スカイライナー』で成田に向って下さい。成田に着くまでに何とかしておきます。成田空港では、当社の係員が、エヴァンジェリストさんをお待ちするようにしておきますので、到着したら、その者の指示に従って下さい」
予定したロスアンゼルス行のJAL便に間に合いそうになくなり、茫然自失の状態で電話してきたエヴァンジェリスト氏に対して、旅行代理店の担当者は冷静の指示を与えたのであった。
その指示通り、エヴァンジェリスト氏は、次の『スカイライナー』に乗り、成田空港に向った。
『スカイライナー』の中で、エヴァンジェリスト氏は走った。そう、気持ちは走っていたのである。
席に着いてはいたが、腰は席から浮いているような心持ちであった。
成田空港に到着する時間は分っている。搭乗手続き締切時間には間に合わない。
「(XX時XX分の成田発の便には)どうやっても間に合いません」
と云った京成上野駅の京成上野駅の券売窓口の駅員さんは、正しかったのだ。
では、成田空港に到着いたところで、どうなるのか?
「成田に着くまでに何とかしておきます」
と云ってくれた旅行代理店の担当者の言葉を信じるしかない。
なので、成田空港に到着すると、必死で今回の出張手配をしてくれた旅行代理店の社員らしき人を探した。
とにかく成田空港に向えと指示をした旅行代理店の担当者は、こうも云っていた。
「成田空港では、当社の社員が『XXXX株式会社 エヴァンジェリスト様』と書いたプラカードを持っています」
そのプラカードは直ぐに見つかった。プロの手配だ。これがプロの手配という者だ。
プラカードを持っていた旅行代理店の社員は、エヴァンジェリスト氏が名乗り出ると、直ぐに、
「急いで下さい。JALはもう間に合いません。でも、シンガポール航空を抑えました。しかし、シンガポール航空ももう直ぐ搭乗手続をクローズします。時間がありません。着いてきて下さい!」
と云うと、エヴァンジェリスト氏の袖を掴むようにして走り出した。エヴァンジェリスト氏も必死で付いて行った。
旅行代理店の社員の指示通り、シンガポール航空のチェックインカウンターでチェックインを済ませ、セキュリティ・チェック、出国審査を終え、無事、シンガポール航空便の搭乗口まで到着した。
そうして直ぐに、航空会社の人に機内に連れて行かれた。
通されたのは、アッパーデッキ(2階)であった。ジャンボ機であったのだ。ビジネス・クラスである。
当時、エヴァンジェリスト氏の会社の海外出張は、ビジネス・クラスの利用が認められていた。
空席が多かった。エヴァンジェリスト氏の席は窓側であったが、2列シートの隣の席は空いていた。
そして、シートと窓との間には、荷物用ボックスがあるので、席の周りにはかなり空間に余裕があった。
更に、CAは…….いや当時、客室乗務員のことは、CA(Cabin Attendant)とは云わず、『スチュワーデス』であったが、『スチュワーデス』が良かった。
正確に云うと、『スチュワーデス』が美しかった。
容姿も美しいことは確かであったが、制服がまたなんとも美しかった。
「チャイナ・ドレスか……いいなあ」
エヴァンジェリスト氏は、そう思った。
だが、その制服は、チャイナ・ドレスではなく、『サロンケバヤ』というシンガポールの民族衣装であるそうなのだが、当時のエヴァンジェリスト氏にはそんな知識はなく、チャイナ・ドレスと勘違いしたのだ。
『サロンケバヤ』を知らなかったに過ぎず、エヴァンジェリスト氏の知識の中ではそれがチャイナ・ドレスに見えたのであったが、そもそもシンガポール航空に搭乗する予定ではなかったので、尚更、『サロンケバヤ』というものの知識を事前に得る必然性がなかったのである。
『スチュワーデス』の制服がチャイナ・ドレスであろうと、『サロンケバヤ』であろうと、美しいことは間違いなかった(フランス人デザイナー、ピエール・バルマン氏のデザインだそうだが)。
また、『サロンケバヤ』を着た『スチュワーデス』の中には、日本人『スチュワーデス』もいて、日本語で対応もしてくれ、安心であった。
その後に出てきた食事も美味しかった。
その時の出張から帰国してから知ったことであったが、シンガポール航空は、とても評判のいい航空会社であったのだ。顧客満足度が極めて高かったのだ。今でもそうであるはずだ。
それはそうであろう。
席も良く、『スチュワーデス』も、その制服も素晴らしく、食味も美味い!
JAL便に間に合わなかったことでむしろ、想定外の幸せを得られたのであった(JALがシンガポール航空に劣る、という訳ではなく、絶対評価として、シンガポール航空は素晴らしかったのだ)。
こうして、1989年(2017年の今から28年前だ)の6月20日、エヴァンジェリスト氏は、「世界一周の旅」(世界一周の出張)に出発した。
京成上野まで乗ったタクシーでのイライラも、『スカイライナー』車中の不安も忘れ去り、シンガポール航空のジャンボ機内で満悦を得ていたエヴァンジェリスト氏であった。
しかし、その「世界一周の旅」(世界一周の出張)は、やはり苦難の旅であった。
エヴァンジェリスト氏は、まだまだ甘ちゃんであったのだ。
ジャンボ機が成田空港を飛び立った時、そしてそれからしばらくの間も、エヴァンジェリスト氏は、自身の甘さに気付いていなかった……..
(続く)
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