2017年7月9日日曜日

à moi la liberté(自由を我に)【ヨーロッパ出張記】(その2)





1989年6月25日、エヴァンジェリスト氏は、宿泊するホテル・カリフォルニアを出て、直ぐ近くにある凱旋門まで行った。




凱旋門の入場料は、22フランであった。

屋上までは、螺旋階段で登る。凱旋門は低くはない。そこを階段で登ったのだ。何階あったのか覚えていなかったが、どうやら12階らしい。

特に辛かったという記憶はない。エヴァンジェリスト氏はまだ35歳。若かったのだ。


凱旋門の屋上に着き、眼下には、「シャンゼリゼ通り」があった。鳥瞰する「シャンゼリゼ通り」は、美しかった。



「シャンゼリゼ通り」は、美しかったが、「déjà vu」感(既視感)があった。



そうだ、東京は国立市にある「大学通り」だ。一橋大学に挟まれている通りだ。だから、「大学通り」だ。

「大学通り」は、真っ直ぐな道路の両脇に並木があり、その外に歩道がある。「シャンゼリゼ通り」のように。




国立市は、この美しい「大学通り」のイメージもあり、高級住宅街だ。都心から離れているのに不動産価格は高い。

「シャンゼリゼ通り」に似ているから、「大学通り」の街灯は、「シャンゼリゼ通り」と同じものを使っていると聞く。



凱旋門の屋上で、「シャンゼリゼ通り」を見下ろしながら、エヴァンジェリスト氏は心の中で唄った。

ダニエル・ビダルが唄った「オー・シャンゼリゼ(原題:Les Champs-Élysées)」ではない。

オー・シャンゼリゼ!」

ではなく、

「A moi La Liberté!」

と唄った。

ルネ・クレール監督の映画「A nous La Liberté(自由を我等に)」の

「A nous, A nous,  La Liberté」

と同じように、

「A moi, A moi,  La Liberté」

と唄った。

「シャンゼリゼ通り」を見下ろしながら、エヴァンジェリスト氏は、家族を想い出していた。妻とその年、4歳になる息子を想い出した。

パリに来るのであれば、妻と息子と来たかった。

「A moi La Liberté(自由を我に)!」


(続く)









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