1989年6月25日、エヴァンジェリスト氏は、宿泊するホテル・カリフォルニアの直ぐ近くにある「凱旋門」(エトワール凱旋門)の屋上から「シャンゼリゼ通り」、「新凱旋門」を見、そして、最後に、「シャンゼリゼ通り」に向って斜め左方面を見た。
フリードラン通り(Avenue de Friedland)方面だ。当時のエヴァンジェリスト氏には、その方面に、「サン・オーギュスタン教会(Eglise Saint Augustin)」「モンマルトル(Montmartre)」が見えている認識はなかったのであったが。
その後、「凱旋門」を降り、「シャンゼリゼ通り」を歩いた。
歩きながら、必死でカメラのシャッターを幾度か押した。勝手にさっさと先を歩いていく上司を見失わないようにしながら。
そうなのだ。「凱旋門」に登ったのも、上司と一緒なのであった。「シャンゼリゼ通り」を歩くのも上司と一緒なのであった。
パリに来る前に行った米国でも(ロサンゼルス、ニューヨークでも)、ホテルの部屋にいる時以外は、ずっと上司と一緒なのであったのだ。
そして、その上司は、自分のしたいこと、自分に行きたいところに行くだけで、エヴァンジェリスト氏の意向を聞こうとはしない人だったのである。
だから、エヴァンジェリスト氏は心の中で叫ぶのだ。
「A moi La liberté(自由を我に)」
しかし、「シャンゼリゼ通り」で先を行く上司を追いながら、カメラのシャッターを押すエヴァンジェリスト氏は、心の中で
「A moi La liberté(自由を我に)」
とは叫んでいなかった。
それよりも街の様子が気になったのだ。
「シャンゼリゼ通り」では、色々なところで清掃が行われていた。
緑と白の制服で清掃をする人がいた。それは、制服を着た清掃人というよりも、緑と白の衣装を着た役者が清掃を演じている、とさえ見えた。箒の先も緑色に染められていた。
運転席全体が丸っぽいガラスに覆われた、やはり緑色を基調にした清掃車もいた。それは、清掃車というよりも自動車ショーに展示られたコンセプト・カーのようであった。
パリは、「シャンゼリゼ通り」は、清掃もお洒落であったのだ。
それは、日本では考えられない光景であった。だから、エヴァンジェリスト氏はカメラをそれらに向け、必死でシャッターを押したのだ。
日本に限らないかもしれないが、清掃を仕事とする人の制服は特段、お洒落なものではない。清掃車も如何にも清掃車然としたものである。
「清掃」ももっとお洒落であっていいではないか。「清掃」は、汚いものを取り除くのではなく、美しいものを作り上げるものであるのだ。
そうであるなら、清掃人も清掃車もお洒落であっていいではないか。いや、お洒落であるべきではないか。
パリの、「シャンゼリゼ通り」の、いや「フランス」のその発想の自由さにエヴァは魅入られたのだ。だから、シャッターを押したのだ。
エヴァンジェリスト氏は、そう思うと、心の中で叫んだ。
「A moi La liberté(自由を我に)」
しかし、誰かに(他者に)対して、我に「自由」を与えよ、という叫びではなかった。
自分自身に対して、「自由」な発想、「自由」な行動をとれ、という叫びであったのだ。
美しい清掃人、美しい清掃車が清掃する「シャンゼリゼ通り」は、美しかった。
しかし、その磨き方が普段とは少々違うのではないか、と思った。
普段のパリ、普段の「シャンゼリゼ通り」を知っている訳ではなかったが、エヴァンジェリスト氏は、その「清掃」の様子に普段との差を感じたのだ。
強力な水噴射器でビルの壁の汚れを落とす人もいたのだ。
(続く)
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