(参照:アムステルダムで『彼女』に会った(その1)【ヨーロッパ出張記】の続き)
2017年7月3日も、東京は暑い。エヴァンジェリスト氏は、やはりバテ果てている。
アムステルダは、怖かった。いや、怖いと思い込んでいた。
1989年7月2日(今から28年前だ)に到着したアムステルダムには、7月5日まで滞在した。宿泊したのは、ホテル・オークラ・アムステルダムである。
出張であったが、アムステルダムでの用は、大したものではなく、7月2日も3日も4日も暇であった。
しかし、エヴァンジェリスト氏は、ホテル・オークラから余り外出しなかった。
怖かったのである。アムステルダムの街が怖かったのだ。
アムステルダムの前に滞在したパリで、関係先の会社の人(日本人)に散々、脅されていたのである。
「エヴァンジェリストさん、アムステルダムは怖いですよ。麻薬は合法だし、路地裏ではピストルを売ってるんですよ」
そう云われたのである。
麻薬が合法だということは聞いたことがあった。
路地裏でピストルを売っているかどうかは知らなかったが、7月2日に着いたアムステルダムは、夏だというのに寒風が吹き、通りに棄てられた紙くずが舞い、路地裏に吸い込まれていった。
……..日曜日なので、商店は殆ど閉まっており、人影のないように見える路地裏では、大柄の体の胸ポケットからピストルを出したオランダ人が、背の低いフランス人らしき男から金を受け取っていた……..
…….アムステルダムは、そんな光景を連想させる街であった。見事に洗脳されてしまったのであろう。
だから、エヴァンジェリスト氏は、言葉は理解できなかったが、ホテルの部屋でテレビを見たり、ホテルの部屋の窓からアムステルダムの街を眺めて観光気分を味わおうとした。
アムステルダムは、赤い街であった。それが、エヴァンジェリスト氏の印象である。
塔が並んでいる建物は、教会であろうかと思っていたが、国立美術館であったのではないかと思う。
今なら、Google Mapでできるような観光をしていたのである。情けない。
いや、エヴァンジェリスト氏は、ただ情けないだけの男ではなかった。
(続く)
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