1989年6月25日、エヴァンジェリスト氏は、宿泊するホテル・カリフォルニアの直ぐ近くにある「凱旋門」の屋上から「シャンゼリゼ通り」を見た。
そして次に、反対側に行き、遠くに、「新凱旋門」を見た。
「新凱旋門」は、「グランダルシュ(la Grande Arche)」である。正式名称は、「la Grande Arche de la Fraternité (友愛の大アーチ)」というらしい。
エヴァンジェリスト氏が登った「凱旋門」は、正式には「エトワール凱旋門」だ。フランス語では、「Arc de triomphe de l'Étoile」である。「エトワール広場の勝利(triomphe)のアーチ」なのだ。
一方、「新凱旋門」の名前(正式名称)は、既に確認した通りで、そこには勝利(triomphe)の文字はない。
そう、「新凱旋門」は、『凱旋門』ではないのだ。「新凱旋門」は、日本名なのである。
しかも、実際には「門」(Arche)でもなく、高層ビルなのだそうだ。
しかし、設計者ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンと建築技師エリック・ライツェルは、名称は兎も角、『凱旋門』として「新凱旋門」を作ったようではある。それは、形状を見れば明らかだ。
「新凱旋門」は、新古典主義の代表建築と云われる「エトワール凱旋門」とは趣を全く異にする現代建築だ。
ローマ帝国の「凱旋門」を模したと云われる「カルーゼル凱旋門」とも全く異なる様式だ。
「古典」を感じさせる「カルーゼル凱旋門」、「エトワール凱旋門」に挑戦するかのごとく、その2つの「凱旋門」の先に、一直線の先に「新凱旋門」を作ったことは、如何にもフランス人だと思わせるものである。
フランス人は「自由」なのだ。
しかし、日本にもフランス人に負けない「自由」な人たちがいる。
これを見よ!
これも「凱旋門」ではないか?
実際、「未来の凱旋門」とも呼ばれているようだ。
ご存じの方もあろう。これは、大阪にある「梅田スカイビル」だ。「梅田スカイビル」は、「新凱旋門」が落成して4年後に(1993年)建てられた。
しかし、大阪人は云うかもしれない。
「こっち(梅田スカイビル)の方が、勝ってるで!こっちの方が(新凱旋門より)高いでえ!」
そう、「新凱旋門」は、110mの35階、「梅田スカイビル」は、173mの40階であるのだ。
「梅田スカイビル」は、タワー・イースト(東棟)とタワー・ウエスト(西棟)の2棟があり、その2棟の天辺が円形の空中庭園展望台でを連結されている。
大阪人の「自由」を「梅田スカイビル」に見ることができる。大阪には、この他にも個性的なビルが多い。
「エトワール凱旋門」に登った16年度(2005年)、「なにわの凱旋門」(梅田スカイビル)に登ることになるのだが、1989年のパリでエヴァンジェリスト氏はまだそのことを知らない。
2005年、エヴァンジェリスト氏は、淀川を眺望できる「梅田スカイビル」で、あるセミナーを開催したのだ。
「自由」の地(大阪)で、「自由の凱旋門」(梅田スカイビル)の中で、エヴァンジェリスト氏の同僚も楽しそうである。
しかし、「新凱旋門」を見る1989年パリのエヴァンジェリスト氏には「自由」がなかった。
「自由」を感じさせる「新凱旋門」を見ながら、心の中で叫んだ。
「A moi La Liberté」
「新凱旋門」は、遠くから見ただけで、そこに行くことはしなかった。行って、中に入ることもしなかった。
その「自由」がなかった訳ではない。それ以前の問題であった。
その日(1989年6月25日)、「新凱旋門」はまだ落成していなかったのだ。
「新凱旋門」は、1989年7月14日、革命記念日に落成記念式典が執り行われたのである。
1989年7月14日の革命記念日は、特別な革命記念日であったのだ。
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿