(参照:アメリカに自由はあったか(その4)【米国出張記】の続き)
「Hi ! Mr. Evangelist!」
と英語で話しかけてくるイケメン『スチュワード』に閉口しつつも、エヴァンジェリスト氏は、シンガポール航空による極上のフライトで、「世界一周の旅」(世界一周の出張)をスタートさせた。
1989年6月21日のことであった(2017年の今から28年前のことだ)。
「世界一周の旅」(世界一周の出張)は、苦難の旅であった。
「京成上野」を知らないタクシーの運転手さんにやきもきした。そして、やきもきしただけでは済まず、乗るべきJAL便に乗ることができなかった。
しかし、そのお陰で世界最高峰の航空会社であるシンガポール航空の便に乗ることができた。
「Hi ! Mr. Evangelist!」
と英語で話しかけてくるイケメン『スチュワード』には閉口した。
だが、アッパーデッキ(ビジネスクラス)の座席は広く快適であり、食事も、それを給仕してくれた『サロンケバヤ』を着た『スチュワーデス』も、最高であった。
「世界一周の旅」(世界一周の出張)は、苦難の旅であったが、この時点では(シンガポール航空機に搭乗している段階では)、苦難はまだまだ序の口であった。
苦難に遭遇はしても、それを上回る幸福を手にできていたのだ。
ロサンゼルス空港に着き、『サロンケバヤ』に名残り惜しさを覚えながら、シンガポール航空機を降りた。イケメン『スチュワード』に閉口したことよりも、『サロンケバヤ』の美しさの方が頭に焼き付いていたのだ。
さて、ここからが問題だ。
ホテルまでどうやって行けばいいのであろうか。宿泊するホテルの無料バスがあると聞いていた。
しかし、そうだ、先に到着しているはずの上司に連絡を取るべきであることに気付いた。
不良サラリーマンではあったが、エヴァンジェリスト氏にも少しは会社員としての常識というものがあった。
公衆電話から、ホテルに電話した。
上司はまだホテルに到着していなかった。
…と、書く程にその確認は簡単ではなかったのだ。
先ず、公衆電話の掛け方が良く分らなかった。でも、何とか掛けた。
ホテルにつながったが、先方の話す英語が良く理解できない。上司がまだ到着していないらしいことは、何とか分った。
そして、無料バスを空港まで回して欲しい、と依頼した(無料バスは、宿泊者が痛いしないと行けないことは聞いていた)。
こちらの英語は通じているようで、
「OK!」
と返って来たが、空港のどこにバスが来るのか、それを聞き取るのに時間を要した。
公衆電話を切ると、どっと疲れが出た。
しかし、疲れている場合ではない。先ずは、ホテルに行かないといけない。
電話で聞いた場所に行き(その場所を探すのにも骨が折れた)、無料バスを待ったが、別のホテルのバスは来るが(といっても、ワゴン車だ)、肝心の宿泊するホテルのバスは来ない。いくら待っても来ない。
諦めて、タクシーに乗ることにした。
タクシー乗り場にいる係員さんに、『(Cpmpri)Hotel』までタクシーで行きたい、と告げると、『向こうにいるタクシーの乗れ』と指示があった。
その指示通り、『向こうにいるタクシー』まで行き、『(Cpmpri)Hotel』まで、と告げたが、『このタクシーではない、向こう行け』と、元の場所の方に戻るよう云われた。
仕方なく元の場所に戻ると、先程の係員さんとは別の係員さんがおり、再度、『(Cpmpri)Hotel』までタクシーで行きたい、と告げると、『向こうにいるタクシーの乗れ』と、また別の方向を指された。
「いい加減にしろよ!」
と思ったが、それを英語で云う力もないし、それを誰に云っていいのかも分らない。
それに、タクシー乗り場の係員さんたちも、タクシーの運転手さんも悪くはないのかもしれないのだ。
エヴァンジェリスト氏に英語力がないので、云っていることが通じていなかったのかもしれない。或いは、エヴァンジェリスト氏の方に、云われていることを理解する英語力がなかっただけのことかもしれないのだ。
タクシーに乗るのも一苦労であったが、何とか何とか、『(Cpmpri)Hotel』まで到着することができた。
しかし、苦労はまだ終っていなかった。
エヴァンジェリスト氏の苦難の旅は、続く。
(続く)
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