(参照:アメリカに自由はあったか(その1)【米国出張記】の続き)
1989年(2017年の今から28年前だ)の6月20日、エヴァンジェリスト氏は、「世界一周の旅」に出発した。
日本から米国に発ち、米国からフランスに回り、フランスからオランダに入り、オランダからアンカレッジ経由で日本に戻る出張であった。
「世界一周」と云うと何だか楽しげに聞こえるかもしれないが、この「世界一周の旅」は、苦難の旅であった。
最初から、苦難の旅であった。
エヴァンジェリスト氏が、多摩地区の自宅(勿論、賃貸マンションだ)の最寄駅から乗ったタクシーの運転手さんは、目的地の「京成上野駅」を知らなかったのだ。
「ケイセイウエノ?」
「ええ、京成上野です」
「分るかなあ…..」
「……..」
そこに、道路の渋滞という不運が重なった。
中央高速に上り、新宿までは順調に走ったが、新宿に入ると、つまり、首都高速に入ると途端に渋滞となった。
凄まじい渋滞はを避け、首都高速を降りたタクシーは、昭和通りを走ってたが、昭和通も渋滞していた。
成田まで間に合うように行けるか心配であったが、ようやく上野まで来た。
JR上野駅がそこにある。京成上野駅は、もう少し先を行き、左折したところだ。
搭乗予定のJAL便に乗るのに間に合う「スカイライナー」の出発までもう少しだが、まだ間に合う。ホッとしたその時であった。
タクシーは、JR上野駅手前で右折したのだ。
「ええ!「ち、ち、違います!京成上野は、コッチではなくアッチです!」
エヴァンジェリスト氏は必死であった。時間に余裕はない。
「え!そうなんですか!?」
運転手さんも慌てた。
「急いで下さい!」
「ええ、でも……ここ、Uターン禁止です。もう少し先で横道に入って、そこから回ります」
絶望した。横道は、少し先まで行かないとない。京成上野駅からどんどん離れて行くことに絶望した。
時間に余裕はない、という状態ではなくなった。後1-2分で、乗るべき「スカイライナー」の出発時間であった。
絶望した。横道に入った頃、「スカイライナー」は出発した。その時間であった。
どうなるのか……
タクシーに乗り、
「ケイセイウエノ?分るかなあ…..」
と云われた時、直ぐにタクシーを降りるべきであった。
失敗った(シクジッタ)。失敗る、というのは、こういうことなんだ、と思った。
しかし、失敗った、では済まない。遅刻だ。遅刻だが、ただの待合せに遅刻するのとは訳が違う。
出張は、上司と一緒だ。米国ロサンゼルスまでは、後輩も一人、一緒だ。しかし、「連れ」のことよりも、海外渡航の飛行機に乗り遅れたらどうすればいいのか、そのことの方が気になった。頭は、混乱と不安で満たされた。
そんな思いの渦に目が回っている内に、ようやく京成上野駅に到着した。
「ここだったんですねえ」
ホットした運転手さんの声が聞こえた。
「あのまま真っ直ぐくればよかったんですねえ。ああ、申し訳なかったですねえ」
明るい声で謝られた。
怒ってしかるべきところであったかもしれないが、事態はそれどころではなかった。
どうするのだ?
タクシーを降りたエヴァンジェリスト氏は、京成上野駅の券売窓口に突進した。
「さっきの『スカイライナー』に乗れなかったんですけど、XX時XX分の成田発の便には、次の『スカイライナー』で間に合いますか?」
駄目もとで訊いてみた。
「間に合いません」
「XX時XX分の便に間に合うには、どうすればいいですか?タクシーですか?」
「どうやっても間に合いません」
駅員さんは、冷静に答えた。その冷静な声に、エヴァンジェリスト氏もようやく冷静さを取り戻した。
ただ慌てても仕方がない。そうだ、今回の出張の手配をしてくれた旅行代理店に連絡しよう。
電話で事情を聞いた旅行代理店の担当者は云った。
「分りました。とにかく、次の『スカイライナー』で成田に向って下さい。成田に着くまでに何とかしておきます。成田空港では、当社の係員が、エヴァンジェリストさんをお待ちするようにしておきますので、到着したら、その者の指示に従って下さい」
さすがプロである。どう、何とかしておくのかは分らなかったが、困った時はプロに従うしかない。
券売窓口に戻り、先程の駅員さんに次の『スカイライナー』の発券をお願いした。
その後に、公衆電話から会社に連絡を入れ、事情を説明した。上司は、来ない部下のことを心配しているはずだからだ。今のように携帯電話のない時代であった。
こうして、エヴァンジェリスト氏は、次の『スカイライナー』に乗り、成田空港に向ったのであった。
初っ端から苦難の旅であった。
(続く)
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