2018年10月8日月曜日

夜のセイフク[その86]






「夜をセイフクする。ボクは、夜をセイフクする!」

エヴァンジェリスト君は、彼の『弁論』の中で初めて、叫んだ。

そして、その言葉を最後に、エヴァンジェリスト君は、しばらく虚空を凝視た。

1970年の広島県立広島皆実高校の体育館であった。その日は、弁論大会の日で、全校生徒が体育館に集合していた。1年7ホームの番で(クラスのことを皆実高校では『ホーム』と呼んだ。今もそうかもしれない)、エヴァンジェリスト君が、『弁論』をした。

エヴァンジェリスト君だけでなく、聴衆も沈黙した。

「(………)」
「(………)」
「(………)」

どのくらいの時間が経ったのだろう。いや、1分も経っていなかったであろうが、聴衆には、永遠かと思われる程の時間であった。

エヴァンジェリスト君は、視線を虚空から聴衆に移した。正面から左へ、左から右へ、彼の視線は、聴衆を射抜いた。

「(…..な、なんだ?!)」
「(………ハ、ハ、ハンサムじゃねえ….)」
「(………セイフクって、何を?)」
「(アタシ、セイフクされたい………)」
「(………変な奴だ)」
「(これって、………『弁論』?)」

聴衆は(生徒も先生も)、それぞれに何かを感じ、何かを思ったが、それを口にすることはできず、演台に手をつき、凝視てくる美少年をただただ見ていた。

視線を正面に戻したエヴァンジェリスト君は、瞼を閉じるように頭を垂れると、演台から両手を下ろし、ステージの袖の方に向かい、もう聴衆の方は一瞥だにせず、ステージから消えた。

体育館は、生徒と先生とで埋め尽くされていたが、まだ沈黙に支配されていた。

それから2年後に、その同じ体育館が、『よしだたくろう』先輩のコンサートで熱狂に包まれるとは誰も想像できない程の静寂であった。

そう1973年、広島皆実高校は、文化祭に同校の卒業生である『よしだたくろう』を招き、コンサートしてもらったのだ。



「は!......ええ、次は、1年8ホームの…..」

司会の先生が、ようやく我に返ったように、次の弁論者の紹介を始めた。

そして、1年8ホームの弁論者が登壇し、今度は普通の『弁論』を始めた頃、体育館座りした1年7ホームの生徒たちのところに、身を屈めながら、エヴァンジェリスト君がそっと帰ってきた。

それに気付いた1年7ホームの同級生や他のクラスの生徒たちは、何かを恐れれるように、美少年に目を遣った。

エヴァンジェリスト君の方も、周囲の『期待』に応えるかのように、眉間にしわを寄せていた。

しかし、友人ビエール・トンミー君の姿を見つけると、いきなり、顎を伸ばし、前に突き出した。

「(エヴァ君!)」

ビエール・トンミー君は、友人が、

『夜をセイフクする。ボクは、夜をセイフクする!』

と叫んだ時以上に、唖然とした。

エヴァンジェリスト君は、彼が敬愛するアントニオ猪木の顔真似をしたのだ。



(続く)


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