「(う、う、内田有紀!?)」
鞄で隠してはいたが、左手で股間を抑えたまま、ビエール・トンミー氏は、心中語で吃った。
「アータ、どうしたの?」
隣に座っている妻が声を掛けた。
「ん!?...ああ、今日、楽しみだねえ」
「そうねえ。アータとこうしてお出掛けして、『学べる』のって、幸せだわ」
「うん、ボクも」
もう64歳になった老人が、『ボク』も、ってどうかとは思うが、妻と相対していると、若返るのだ。マダム・トンミーは、夫よりも10歳も若いのだ。
「(ああ、いけない!.....ボクには、こんな若くて可愛い妻がいるのに)」
妻の横顔を見た。妻の体臭がほのかに匂った。
「(…ああ、この匂いだ。…..ふううん….安心する匂いだ)」
昨晩、ビエール・トンミー氏は、夢にうなされた。
「て…が….た….ああ、ううーーーーーー!」
と寝言というか、寝たまま呻き声を上げたらしい。
絞れば汗が落ちる程に、パジャマが濡れており、マダム・トンミーは、夫のパジャマを脱がせ、全身をタオルで拭いた。股間だけは、『事情』があり、拭くのに少し苦労したが。
「ううーーーーーー!違う、違ううううううう」
と呻く裸の夫を、マダム・トンミーは、抱き締めた。
「アータ、もういいのよ」
そして、自分の胸に夫の顔を埋め、夫の頭を撫でた。
「アータ、もう会社は辞めてるのよ。もう苦しまなくていいの」
マダム・トンミーは、涙ぐみながら、夫の顔をさらに強く自分の胸に押し抱いた。
その時、ビエール・トンミー氏は、意識を失ったままであったが、
「(….な、なんだ、この匂いは?咲子の香水ではないな。…でも、安心する匂いだ)」
と、妻に救われたのであった。
「(それなのに、ボクとしたことが、他の女性に…….それに、南武線にいる訳がないではないか、内田有紀が!)」
しかし、ビエール・トンミー氏はまだ、鞄で隠してはいたが、左手で股間を抑えたままであった。
(続く)
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