(夜のセイフク[その88]の続き)
「『東大に入る会』って、君が戯けた内容の読み物を発表する冊子『東大』を発行する為の会だと思っていた」
2018年10月7日の夜、ビエール・トンミー氏は、自宅の庭に出て、夜空の月を見上げながら、呟いていた。
「『弁論大会』の後も、エヴァ君、君は、冊子『東大』で『ミージュ・クージ vs ヒーバー』の連載を続けた」
1970年、広島県立広島皆実高校の1年7ホームの教室のビエール・トンミー君の席には(クラスのことを皆実高校では『ホーム』と呼んだ。今もそうかもしれない)、不定期ながら、エヴァンジェリスト君により、冊子『東大』が置かれた。
「そして、ついに、『ミージュ・クージ vs ヒーバー』に『アランド・ロン警部』を登場させたのだ。『アランド・ロン警部』は、ボクをモデルにしたことは明白であった」
そう、『アランド・ロン警部』は、広島市牛田に住むハンサム警部で、福岡県出身、広島に来る前は、山口県宇部市にいた、という設定であった。それは、まさにビエール・トンミー君の『経歴』であった。
「ミージュ・クージには、ヒーバー退治はできないとして、『アランド・ロン警部』を登場させたものの、そもそもヒーバーが広島市内に現れないので、退治するもしないもなく、『ミージュ・クージ vs ヒーバー』は、『アランド・ロン警部』が女性にモテるという話がダラダラと続くだけだった」
(続く)
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