『少年』は、翠町にあった済世愛児園という幼稚園の時代、宇品にあった自宅は、長屋であったし、風呂も何世帯もある長屋の共同風呂、そして、まだテレビもなかったが、その貧しい暮らしにもハブテン少年ではあったのだ(いや、当時は、まだ『幼児』と云うべきであったであろうが)。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その10]の続き)
「(上手いのは上手いんじゃ….)」
自分の勉強机の横にぶら下げたままになっている、袋に入った小学校時代のたて笛を見て、エヴァンジェリスト少年は思った。
「(あの時、何の曲吹いたのか覚えとらんけど)」
広島市の1番の繁華街である本通りを行進した時のことを思い出した。皆実小学校の時、鼓笛隊に選ばれたのだ。そのメンバーとして、たて笛を吹いたのである。
「(やりかったんじゃなかったんじゃが)」
そうだ。エヴァンジェリスト少年は、好き好んで鼓笛隊に入ったのではない。皆実小学校の時、少年は、成績は常にトップクラスで、行儀正しく、人をまとめる力もあったので、毎学年、学級委員をしていた。
「(学級委員もしたかったんじゃないんじゃけど)」
したくはなかったが、選挙をすると必ず選ばれてしまうのだった。選挙は立候補制ではなく、互選であった。クラスの子たちは、勉強で分からないことがあると、エヴァンジェリスト少年に訊き、少年はそれに丁寧に答えた。人望があった。
「(先生が勝手に選んだんじゃ)」
先生たちも、成績優秀で、品行方正、同級生の人望も厚いエヴァンジェリスト少年を、何かあるとクラスの代表に選ぶのであった。鼓笛隊のメンバーに選んだのも、先生であった。
「(たて笛も別に好きじゃないけえ)」
唾の味がする笛を吹くのは、むしろ好きではなかった。自分の唾ではあるが、臭い味がした。
「(間違えたらいけんのんも、好きじゃないけえ)」
他人の前で間違える、という事態が生じ得る状況に置かれることも好きではなかった。他人前に立つことそのものにプレッシャーは感じる方ではなかったが、間違えるということはしたくはなかった。
「テストの際、軽率な解決が多く」
と、『よい子のあゆみ』(通知表)に書かれたことがあった。ケアレス・ミスが多かったのだ。そんな自分をエヴァンジェリスト少年は、知っていた。
「(それに、音楽は別に好きじゃないけえ)」
音楽を嫌いではなかったが、決して好きでもなかった。それなのに、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)に入ったら、ムジカ先生に、
「明日から、お前、ブラスバンドに入れ」
と云われたのだ。そして、それを拒否することができなかったのだ。
だって、いつも母親に、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と躾けられていたのだ。エヴァンジェリスト少年は、 ハブテン少年であったのだ。
(続く)
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