2019年8月28日水曜日

ハブテン少年[その13]




『少年』は、翠町にあった済世愛児園という幼稚園の時代、宇品にあった自宅は、風呂は共同風呂の長屋で、まだテレビもなく、毎週金曜日の夜には、お向かいのトコトコさんの家で見せてもらえるテレビ番組は、隔週で放送となる『日本プロレス中継』と『ディズニーランド』だけという貧しい暮らしながら、ハブテン少年ではあったのだ(いや、当時は、まだ『幼児』と云うべきであったであろうが)。

だって、ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られるのだ。


************************





「お母ちゃん!」

母親が、玄関を開けて入ってくると、エヴァンジェリスト少年は、玄関入ってすぐにある子ども部屋を飛び出し、叫んだ。

「どしたん?」

母親は、仕事用に使っている手提げ袋を置きながら、末息子なんだか必死な形相に口を開けたままになった。

「ブラスバンドじゃ」

思いが先走るエヴァンジェリスト少年の言葉は、説明にならない。

「あんたあ、どしたん?」



母親は、居間に入り、息子はその後を追う。

「今日、音楽の授業の後、ムジカ先生に呼ばれたんよ」

ようやく説明らしい説明を始める。

「ああ、ムジカ先生」

母親は、ムジカ先生を良く知っている。『おおきょうニイチャン』の『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)時代の担任であったし、『おおきょうニイチャン』が入っていたブラスバンドの指導教諭でもあった。更には、『超』という枕詞がつく程に社交的な性格の母親は、PTAの役員もしており、ムジカ先生に限らず、『ミドリチュー』の先生たちとも親しかったのだ。

「ムジカ先生が、『ブラスバンドに入れ』じゃと」

出来るだけ口を尖らせないよう気を付けながら、エヴァンジェリスト少年は、問題の核心に触れた。

だって、いつも母親に、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と躾けられていたのだ。エヴァンジェリスト少年は、ハブテン少年であったのだ。


(続く)


0 件のコメント:

コメントを投稿