『少年』は、翠町にあった済世愛児園という幼稚園の時代、宇品にあった自宅は、風呂は共同風呂の長屋で、まだテレビもなく、毎週金曜日の夜には、お向かいのトコトコさんの家で見せてもらえるテレビ番組は、隔週で放送となる『日本プロレス中継』と『ディズニーランド』だけという貧しい暮らしながら、ハブテン少年ではあったのだ(いや、当時は、まだ『幼児』と云うべきであったであろうが)。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その12]の続き)
「お母ちゃん!」
母親が、玄関を開けて入ってくると、エヴァンジェリスト少年は、玄関入ってすぐにある子ども部屋を飛び出し、叫んだ。
「どしたん?」
母親は、仕事用に使っている手提げ袋を置きながら、末息子なんだか必死な形相に口を開けたままになった。
「ブラスバンドじゃ」
思いが先走るエヴァンジェリスト少年の言葉は、説明にならない。
「あんたあ、どしたん?」
母親は、居間に入り、息子はその後を追う。
「今日、音楽の授業の後、ムジカ先生に呼ばれたんよ」
ようやく説明らしい説明を始める。
「ああ、ムジカ先生」
母親は、ムジカ先生を良く知っている。『おおきょうニイチャン』の『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)時代の担任であったし、『おおきょうニイチャン』が入っていたブラスバンドの指導教諭でもあった。更には、『超』という枕詞がつく程に社交的な性格の母親は、PTAの役員もしており、ムジカ先生に限らず、『ミドリチュー』の先生たちとも親しかったのだ。
「ムジカ先生が、『ブラスバンドに入れ』じゃと」
出来るだけ口を尖らせないよう気を付けながら、エヴァンジェリスト少年は、問題の核心に触れた。
だって、いつも母親に、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と躾けられていたのだ。エヴァンジェリスト少年は、ハブテン少年であったのだ。
(続く)
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