『少年』は、『広島カープ』の『龍憲一』投手が、1965年に18勝、1966年に16勝とリリーフ・エースとして大活躍したものの、チームはBクラスのママであったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その27]の続き)
「(なんか、おんなじようなことがあったのお?)」
ブラスバンドの練習を終え、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)を出て、自宅に帰りながら、エヴァンジェリスト少年は、鞄に入れた封筒に思いを馳せた。
「(なんじゃったかの……)」
その日のお昼休みに、『クッキー』子さんが封筒を渡して来たのだ。
「ラヴレターじゃろ」
隣席の男子生徒が、ひやかして来た。
「なんでもないけえ」
と答えながらも、ラヴレターであったらいい、と思った。そして、今も、その封筒の中身を知りたくて、直ぐに封を切りたい気持ちではあった。しかし、学校では、
「ええのお、ラヴレターじゃ」
という隣席の男子生徒の眼、ブラスバンドでは、部員たちの眼があった。
「(『好き』いうて書いてあるんじゃろうか?)」
とも思ったが、下校途中も、他の『ミドリチュー』の生徒たちが同じく下校していた。
「(んん?)」
エヴァンジェリスト少年は、また、ある感覚に襲われ、心の中で首をひねった。遠くに前年(1966年)に廃線となった宇品線を見て(上大河駅-宇品駅間が廃線となった)、ある少女の姿を思い出したのである。
(続く)
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