『少年』は、『広島カープ』の『森永勝也』外野手が、1962年には首位打者となる等、主力打者であったものの、1967年には『少年』が大嫌いな読売ジャイアンツに移籍したが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その29]の続き)
「ほうかあ……」
自宅の『子ども部屋』で独り、学校(広島市立翠町中学)で『クッキー』子さんからもらった封筒を開けたエヴァンジェリスト少年の呟きは、喜悦ではないが、落胆でもないものであった。
「誕生日なんじゃ….」
封筒の中身は、『クッキー』子さんの誕生日パーティーへの招待状であった。ラヴレターではなかった。
「(お母ちゃんに云わんといけん)」
プレゼントを用意しないといけないからだ。招待状には、プレゼントについて言及されていなかったが、プレゼントを用意するのは常識であった。そのくらいの知識は、既に持ち合せていた。
「(プレゼント、お母ちゃんに頼まんといけん)」
エヴァンジェリスト少年自身、自分の誕生日会(『誕生日パーティ』ではなく、『誕生日会』と云った)を親に開いてもらい、友だちを家に来てもらった経験もあった。友だち達は皆、プレゼントを持って来てくれた。自分が、友だちの誕生日会に呼ばれた時も、プレゼントを持参した。
「お母ちゃん、誕生日パーティーなんじゃ」
と、帰宅し、末息子に同級生の女子生徒から誕生日パーティに招待されたことを聞いた母親は、相好を崩した。
「(やっぱり、この子は違うんじゃ)」
末息子の兄二人は、女子生徒から誕生日パーティに招待されたことはなかった。クリスマス・パーティに招待されたこともなかった。
「(小さい時から、違ごうとったけえ)」
幼児の頃から、エヴァンジェリスト少年の美貌は、親戚やご近所さん、学校関係者の間で有名であった。どうして末息子だけが、人も羨む美貌となったのか分らなかったが、そんなことはどうでもよかった。
「(頭もええし)」
母親は、末息子が自慢であったが、末息子本人は、『クッキー』子さんから渡されたのがラヴレターではなかったことが、心の片隅に引っかかってはいた。しかし……
「(ええ匂いじゃ)」
まだ入ったことのない『クッキー』子さんの部屋が、いい匂いがする、と妄想を膨らませ、眼を瞑り鼻を少し上にあげ、左右に振って何かを嗅ぐようにした時、
「(んぐっ!)」
何か、体のある部分に『異変』が生じたような気がした。まだ、萌芽と云っていい程の、微かな『異変」ではあったが。
(続く)
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