『少年』は、『広島カープ』の『三村敏之』内野手が、後には名選手、そして、名監督になるものの、入団1年目の1967年は、まだあまり試合に出てはいなかったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その45]の続き)
「(なんじゃ、猿腕かあ)」
『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の体育の教諭であるパンヤ氏は、授業で徒手体操を教えている時、抜群に覚えのいい男子生徒が、腕を脇から横に上げる際に真っ直ぐにならないのが、不思議であった。
「(猿腕じゃあ、しょうがないのお)」
その男子生徒の腕は、『猿腕』だったのだ。『猿腕』とは、肘から先が外に曲がっている腕である。肘から先だけをローリングさせることもできる。女性に多く、男性には少ない。
「(ほいじゃけど、コイツは頭がええだけじゃのうて、ハンサムじゃのお)」
猿腕の少年の顔をしげしげと見る。
「(『ミドリチュー』のアラン・ドロンと云われとるけえのお)」
その少年の美男ぶりは、教職員の間でも話題となっていたのである。少年は、エヴァンジェリスト少年であった。
「(これだけのハンサムは、他では….あ!)」
最近、一度だけ見たことがあったのだ。エヴァンジェリスト少年に匹敵する美少年であった。住んでいる牛田で会った中学生である。多分、牛田中学の生徒だ。
「そうなんだよねえ」
牛田の美少年は、標準語を使っていた。広島弁ではなかった。NHKのアナウンサーを思わせるような言葉使いに感じられた。
「(牛田には、あーような子にはおらんかったけえ。『トーキョー』から引っ越してきたんかもしれん)」
その少年は、所謂、ピッカピカの学生服を着ており、年恰好からして、エヴァンジェリスト少年と同じく新中学生(中学1年生)とみた。
「(標準語じゃし、ありゃ、女子生徒にモテるじゃろう)」
広島で標準語を使う者は、どこかハイカラな感じがした時代であった。まだ情報通信が強い時代ではなく、都会と地方との格差は大きく、地方の人間にとって『トーキョー』等の都会は、憧れの的であったのだ。
(続く)
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