『少年』は、1965年に始まった日本サッカー・リーグに影響された次兄であるヒモくんに、興味のないサッカーの相手をさせられたが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その46]の続き)
「(クリント・イーストウッドみたいじゃった)」
『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の体育の教諭であるパンヤ氏は、自宅のある牛田で見かけた美少年を、テレビ西部劇『ローハイド』で知られ、丁度、その頃、マカロニ・ウエスタンで売れてきていたハンサム俳優に似ていると思った。
「ジェームズ・ボンドよ!」
パンヤ先生がその少年を『クリント・イーストウッド』と評したことを知ったら、宇部市の女子生徒たちは、そう抗議したであろう。少年は、
「ねえねえ、あの子、『007』みたいじゃない?」
と、宇部市では女子生徒たちに噂されていた。少年は、その年(1967年)、山口県宇部市琴芝から広島市牛田に引っ越してきたのであった。
「(まあ、エヴァンジェリストの方がウエじゃけどのお)」
その感想は、やはり自分が住む牛田で美少年を見かけたムジカ先生と同じものであった。そうなのだ。パンヤ先生が、牛田で見かけた美少年は、ムジカ先生が、牛田で見かけた美少年と同一人物であったのだ。
まさか、それから3年後、その二人の美少年が、広島私立皆実高等学校で同級生となり、今(2019年)に到るまで友となるとは、パンヤ先生も想像だにしなかった。
申すまでもなかろう。『牛田』の『クリント・イーストウッド』は、中学1年のビエール・トンミー氏であったのだ。
(続く)
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