2019年10月4日金曜日

ハブテン少年[その50]




『少年』は、1965年に始まった日本サッカー・リーグに影響された次兄であるヒモくんのサッカーの相手をしたのは、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の道路を挟んだ南側の住所でいうと宇品にあるそこそに広い公園(宇品第一公園)で、そこで逸れたボールを取りに行くのは大変であったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。

だって、ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られるのだ。


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「おー!おー!おおー!」

イマイチ浮かない顔をしているエヴァンジェリスト少年以外の男子生徒たちは、歓声を上げ続けた。

「おー!おー!おおー!」

1968年、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)1年生であるエヴァンジェリスト少年のクラスの3学期最初の体育授業は、運動場でも体育館でもなく、教室で行われ、体育のパンヤ先生が、

「みんな頑張ったけえ、3学期は、バスケットボールやらしたる」

と仰ったのだ。



「おー!おー!おおー!」

しかし、生徒たちは、甘ちゃんであった。1学期、2学期の間、体育の授業では、徒手体操しかさせてくれなかったパンヤ先生、徒手体操を徹底的に叩き込んでくれたパンヤ先生の怖さをまだ知りきっていなかったのだ。

「おい、おい、みんな、喜ぶのはええが、ちょっと静かにせえ」

と云うと、パンヤ先生は、教団の横に置いた段ボール箱の中から、小冊子を何冊も取り出すと、最前列に座る生徒たちにそれを配り始めた。

「これを後ろに回せ」

生徒たちは、パンヤ先生が何をしようとしているのか分からず、歓声を上げるのを止め、配布された小冊子に目を落とした。


(続く)


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