『少年』は、1965年に始まった日本サッカー・リーグで2年連続、父親が勤務する東洋工業(現在のマツダ)が優勝し、その中心選手である『小城得達』選手は、1965年に日本年間最優秀選手賞を受賞したものの、それでもサッカーには興味ないまま、次兄であるヒモくんにテレビで日本サッカー・リーグの試合を見せられていたが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
************************
(ハブテン少年[その53]の続き)
「(酷い!ボクは、バスケットボールは見たことはあるけど、ちゃんと試合なんかしたこともないのに)」
エヴァンジェリスト少年は、ハブテルというよりも困惑した。1968年、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)1年生であるエヴァンジェリスト少年のクラスの男子の体育の3学期最初の授業である。パンヤ先生は、
「ええか、とにかく、来週までに、ルールブック読んできて、説明せえ。当てるけえ、ちゃんと説明できるようにしとけよ!」
と仰ったのである。
「ええ~っ!!!」
生徒たちは、パンヤ先生のことが怖かったが、それでも教室の窓ガラスは、生徒たちの不満の声に揺れた。
「(仕方ない)」
『ハブテン少年』のエヴァンジェリスト少年は、配布されたルールブックを開いた。
「(ファウル…….バイオレーション…….ふううん……)」
教室の喧騒をよそに、エヴァンジェリスト少年は既に、『バスケットボール』の(いや、『バスケットボール』のルールの)勉強を始めていた。
「(そうか……これは、体育というか、数学や理科と同じようなものだ)」
実際に体を動かす訳ではないので、その理解は間違ってはいなかった。体育の授業ではあったが、ある意味では、体育の授業ではないのだ。
「(まあ、いいか、徒手体操よりは)」
しかし、エヴァンジェリスト少年は、やはりまだ『少年』だ。甘かった。
次の体育の授業から、『バスケットボール』のルールの授業が始まり、クラスの他の男子生徒たちがルールを覚えきれず、パンヤ先生に叱られる中、エヴァンジェリスト少年は、ルールを完璧に覚え…..
「(24秒ルール、8秒ルール、5秒ルール、3秒ルール、トラベリング、ホールディング…..かあ)」
パンヤ先生に何を訊かれても戸惑うことなく、回答した。
「お前ら、エヴァを見習え!」
パンヤ先生は、他の生徒たちにそうハッパをかけたが、褒められたエヴァンジェリスト少年も、『バスケットボール』のルールの授業が段々、苦痛になってきたのだ。実技はなく、ただただ理屈の世界である。それも、1月だけではなく、2月の体育の授業もひたすら『バスケットボール』のルールである。
「お前ら、来週はもうちったあ、勉強してこいや!」
パンヤ先生は、とにかく怒る。エヴァンジェリスト少年は、それが自分に向けられた言葉ではないとは分かりながらも、先生が怒るシチュエーションの中にいるのが辛かった。
『バスケットボール』のルールの授業は、3月に入ってもまだ続いた。が…….
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿