『少年』は、1965年に始まった日本サッカー・リーグに影響された次兄であるヒモくんのサッカーの相手では、ちゃんとしたサッカー・シューズ、のサッカー用ソックス、そしてすね当てを着用した兄に対して、自分はただのズック(運動靴)を履いているだけであったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その47]の続き)
「(つまらんのお)」
そう思いながら、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)1年生のエヴァンジェリスト少年は、体育の授業を受けていた。
「あんたあ、ハブテンさんな」
と、いつも母親に、躾けられていたからではない。
「腕を回すときは、腕を頭の上に持ってくるまではゆっくり、頭の上から降ろす時は、重力に任せた感じで速う下ろすんじゃ!」
体育のパンヤ先生は、1学期も2学期も、体育の授業では徒手体操しか教えない。しかも、その授業は、腕、脚、首、胴、といった体の各部の動きの一つ一つについて細かな指導が入る。指導と云えば聞こえはいいが、怒鳴りつけられるのだ。
「(つまらんのお)」
そんな体育の授業が『つまる』はずはなかった。しかし、パンヤ先生の教える徒手体操の内容は、理にかなっていると思ったのだ。だから、ハブテルことはなかった。でも、やはり
「(つまらんのお)」
なのであった。
しかし、3学期に入った最初の体育の授業でのことであった。
(続く)
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