『少年』は、父親が勤務する東洋工業(現在のマツダ)がその前年(1966年)、ジウジアーロのデザインの格好いい車『ルーチェ』を販売するものの、東洋工業はトヨタや日産よりは小さい自動車メーカーであったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その58]の続き)
「(なんだ、これは?)」
交響詩『フィンランディア』の自分のパート(アルト・サックス)の譜面を見て、エヴァンジェリスト少年は、思わず開いた口を開いたままにした。1967年、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の音楽教室である。
「(休みばっかりだ)」
その年の文化祭で演奏する曲『フィンランディア』の譜面である。
「(メロディー[主旋律]がない!)」
『フィンランディア』では、アルト・サックスは主旋律を任されていない。
「(これでは、どんな曲か分らない…..)」
その年にリリースされたブルー・コメッツの『ブルー・シャトウ』なら、
「(モリ、トンカツ、イズミ、ニンニク)」
と譜面がなくてもメロディーを口遊むことができた。眉間に皺を寄せれば、
「(シノービアウウ、コイヨオ!)」
と、やはりその年のヒット曲である、石原裕次郎の『夜霧よ、今夜も有難う』のメロディも正確になぞることができた。その時はまだ、後年、自分が石原プロモーション入りするのではないか、と噂されるようになるとは思いもしなかったのではあったが。
「(まあ、『ブルー・シャトウ』も『夜霧よ、今夜も有難う』も興味はないんだけど)」
美空ひばりの『真赤な太陽』や三波春夫の『世界の国からこんにちは』、佐良直美の『世界は二人のために』といったその年の他のヒット曲も、メロディーは知っていた。森山良子の『この広い野原いっぱい』も伊東ゆかりの『小指の思い出』も、特段、好きではなかったが、テレビやラジオでかなり流れているので、メロディーを把握していた。
「(だけど……)」
(続く)
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