『少年』は、東洋工業(現在のマツダ)の設計技師であった父親は真面目な人で、家に帰っても数学の本を取り出し勉強する姿を見ていたものの、でも家が裕福になった訳ではなかったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その56]の続き)
「どうじゃ、楽しいか?」
1968年、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)1年生であるエヴァンジェリスト少年のクラスの男子生徒たちに、体育のパンヤ先生が、問いかけた。
「はーい!」
そこは、校庭のバスケットボールのコートであった。1学期、1学期は、徒手体操の練習だけ、3学期もバスケットボールのルールの勉強だけであった生徒たちは、待ちに待った実技が嬉しかった。
「ほいじゃあ、もう1回、順番にドリブルして来い!」
「ええー?」
生徒たちは、唖然とした。いよいよ試合だと思っていたのだ。
「なんならあ!?ええけえ、もう1回、ドリブルせえ!」
仕方なく、生徒たちはまた、5人ずつ、ドリブルでコートを往復する。
「ふー」
少し息が切れてくる。ようやく全員が2回目のドリブルを終える。
「よーし!ドリブルがバスケットボールの基本じゃけえのお」
「……」
生徒たちは、無言である。
「ほいじゃけえ、また、順番にドリブルして来い!」
「えええええーーーー!」
無言であった生徒たちが、叫ぶ。
「(やっぱり、パンヤ先生だ。普通に済むはずがないんだ)」
エヴァンジェリスト少年だけは、冷静にパンヤ先生を分析していた。
「(今日、多分、試合はない)」
エヴァンジェリスト少年の読み通り、その日の体育の授業は、ひたすらドリブルの練習をしただけで終った。
「せんせえ、試合させてえや」
とい生徒たちの願いを受け容れるパンヤ先生ではなかったのだ。
「お前ら、分かっとらん!バスケットボールの基本は、ドリブルじゃ」
エヴァンジェリスト少年の『ミドリチュー』1年の体育は、こうして、徒手体操の練習とバスケットボールのルールの勉強(1時間だけドリブルの練習)だけで終わった。パンヤ先生に翻弄された1年であった。
しかし、その後も、エヴァンジェリスト少年は、パンヤ先生に翻弄されるのであった。
(続く)
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