『少年』は、1965年に始まった日本サッカー・リーグに影響された次兄であるヒモくんのサッカーの相手は自分一人であったので、兄が蹴ったボールが逸れると、それを遠くまで拾いに行くのはとても辛かったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その48]の続き)
「みんな、1学期、2学期、徒手体操、ようやった」
パンヤ先生は、笑顔で、珍しく生徒たちを褒めた。1968年、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)1年生であるエヴァンジェリスト少年のクラスの3学期最初の体育授業は、運動場でも体育館でもなく、教室で行われた。
「みんな頑張ったけえ、3学期は、バスケットボールやらしたる」
というパンヤ先生の思いがけない言葉に、生徒たちは歓声を上げた。
「おー!おー!おおー!」
パンヤ先生が云う通り、彼らは、1学期、2学期の間、体育の授業では、徒手体操しかしてこなかったのだ。それが、今、バスケットボールができるというのだ。
しかし、エヴァンジェリスト少年だけは、特に興味なそうにしていた。
「(バスケットボールは、『ポートボール』みたいなものだろうけど)」
このところ心の中でもすっかり標準語となっていたエヴァンジェリスト少年は、1年前までいた広島市立皆実小学校の校庭を思い出していた。
「(『ポートボール』は好きだった)」
皆実小学校では、体育の授業で時々、『ポートボール』をした。『ポートボール』は、確かにバスケットボールに似ているが、ゴールは、バスケットではなく、台の上に立った人間である。台の上に立った人間が、ボールを受け取るのだ。
「(『ポートボール』の時は、『帰国子女』子ちゃんや『トウキョウ』子さんも一緒にやった)」
エヴァンジェリスト少年は、当時の『妻』であった『帰国子女』子ちゃんや『トウキョウ』子さんが同じコートの中にいて、試合の最中に、彼女たちが、
「キャー!」
と上げる叫び声を聞いたり、動きの中で『妻』たちと体が触れ合ったりするのが、好きであったのだ。
「(でも今は、体育の授業は男子だけだし…..)」
自分自身を含め、男子は、中学生になって、それでなくとも体が臭くなってきていた。バスケットボールをして汗をかき、臭さが増した体をぶつけ合うのは、気が進まなかった。
(続く)
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