『少年』は、1965年に始まった日本サッカー・リーグに影響された次兄であるヒモくんのサッカーの相手をした宇品第一公園の南側にあった『クマヒラ』を見ながら(今も、そこには、国内最大手の金庫メーカーの熊平製作所はそこにあるはずである)、サッカーは面倒臭いと思っていたが(それは一対一でしているからであったが)、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その50]の続き)
「なんやあ、これえ?」
1968年、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)1年生であるエヴァンジェリスト少年のクラスの3学期最初の体育授業は、運動場でも体育館でもなく、教室で行われ、体育のパンヤ先生が配布した小冊子を見ていた。
「『バスケットボールのルールブック』?」
そうだ。その小冊子は、文字通り、『バスケットボールのルールブック』であった。
「(どういうことだ?)」
授業でバスケットボールをすることに興味がなかったエヴァンジェリスト少年も、体育のパンヤ先生が、『バスケットボールのルールブック』を生徒たちに配布した意味をはかりかねた。
「ああん?」
他の生徒たちも、なんだか不安な気持ちにざわついていた。
「ええか、みんな、聞けえや」
パンヤ先生は、自分の顔の横に『バスケットボールのルールブック』を掲げ、生徒たちを制した。
「ええか!来週から……」
パンヤ先生は、主旨説明を始めた。
(続く)
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