2019年10月5日土曜日

ハブテン少年[その51]




『少年』は、1965年に始まった日本サッカー・リーグに影響された次兄であるヒモくんのサッカーの相手をした宇品第一公園の南側にあった『クマヒラ』を見ながら(今も、そこには、国内最大手の金庫メーカーの熊平製作所はそこにあるはずである)、サッカーは面倒臭いと思っていたが(それは一対一でしているからであったが)、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。

だって、ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られるのだ。


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「なんやあ、これえ?」

1968年、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)1年生であるエヴァンジェリスト少年のクラスの3学期最初の体育授業は、運動場でも体育館でもなく、教室で行われ、体育のパンヤ先生が配布した小冊子を見ていた。

「『バスケットボールのルールブック』?」

そうだ。その小冊子は、文字通り、『バスケットボールのルールブック』であった。



「(どういうことだ?)」

授業でバスケットボールをすることに興味がなかったエヴァンジェリスト少年も、体育のパンヤ先生が、『バスケットボールのルールブック』を生徒たちに配布した意味をはかりかねた。

「ああん?」

他の生徒たちも、なんだか不安な気持ちにざわついていた。

「ええか、みんな、聞けえや」

パンヤ先生は、自分の顔の横に『バスケットボールのルールブック』を掲げ、生徒たちを制した。

「ええか!来週から……」

パンヤ先生は、主旨説明を始めた。


(続く)


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