『少年』は、父親が勤務する東洋工業(現在のマツダ)が1962年に発売を開始した『キャロル』のクリフカットのリアウインドウのデザインが好きだったものの、『キャロル』も『スバル360』程には売れなかったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その60]の続き)
「(え?...ええ?...えええ?)」
戸惑った。口が開いていた。1967年、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の音楽教室で、エヴァンジェリスト少年の眼は、譜面の上を彷徨っていた。
「(どこから?...いつなんだ!?)」
その年の文化祭で演奏する、交響詩『フィンランディア』の練習が始っていた。
「(今、どこだ?)」
自分のパート(アルト・サックス)は、始まってから何小節も出番はない。どこから出ていいか(アルト・サックスの自分のパートを吹き始めたらいいか)は、小節を数えていけばいいと思っていたが、甘かった。
「(分らん!)」
心中の言葉ではあったが、思わず、広島弁に戻っていた。汚いから嫌だ、と棄てた広島弁に戻ってしまう程に、焦った。
「(そろそろか?)」
指を折って小節数を数えていたが、曲の演奏ペース自体を把握できない為、指を折って数えた小節数が合っているのかどうかが分からなくなったのだ。
「(ええい!まあ、いいか、この辺で…)」
エヴァンジェリスト少年は、恐る恐るアルト・サックスのマウスピースを咥える口を絞り、息を吹き入れた。
「ブー、ブブー…..」
(続く)
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