『少年』は、その年(1967年)に、父親が設計技師として勤務する東洋工業(現在のマツダ)が、世界初のロータリーエンジン搭載の車である『コスモ』を発売したものの、家が裕福になった訳ではなかったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その54]の続き)
「うおおおおおおおーーーーーー!」
1月から今まで、体育の授業となると静まり返っていた『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)1年生であるエヴァンジェリスト少年のクラスの男子生徒たちが、隣の教室の教師が驚いて様子を見に来る程の歓声を上げた。
「お前ら、来週から、外でバスケットボールやらしたる!」
パンヤ先生がそう仰ったのだ。
「うおおおおおおおーーーーーー!」
生徒たちは、浮かれ、起ち上がる者もいた。しかし、エヴァンジェリスト少年だけは、冷静であった。
「(まあ、ルールの勉強ばかりもウンザリだったけど)」
そう、ウンザリだったけど、バスケットーボールをしたい訳でもなかったのだ。
「(それに、パンヤ先生、ちょっと間違ってないか?)」
さすがに、それから3年後には、その時(1968年)、広島市立牛田中学で美貌の天才少年と評判を呼んでいたビーエル・トンミー少年と共に、『ミナミコーコー』(広島県立広島皆実高校)の『頭脳』と噂されるようになるだけの明晰さを持つエヴァンジェリスト少年であった。
「(『来週から、バツケットボールのコートでバスケットボールやらしたる!』って仰ったけど、来週で体育の授業もお終いなのに)」
もう3月下旬であったのだ。しかし、他の生徒たちは、とにかくハシャいだ。
「うおおおおおおおーーーーーー!」
(続く)
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