『少年』は、1965年に始まった日本サッカー・リーグでは、2年連続、父親が勤務する東洋工業(現在のマツダ)が優勝していたものの、それでもサッカーには興味ないまま、次兄であるヒモくんにテレビで日本サッカー・リーグの試合を見せられていたが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その52]の続き)
「ええか!来週までに、ルールブック読んできて、説明せえ」
パンヤ先生は、そう仰った。1968年、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)1年生であるエヴァンジェリスト少年のクラスの男子の体育の3学期最初の授業である。
「ええ~っ!!!」
生徒たちは、不満を強くした。1学期も2学期も、体育の授業では、ひたすら徒手体操をしてきたところで、3学期になって、ようやくバスケットボールをさせてくれると喜んだものの、先ずは、ルールの勉強で、実技ではないと知り、がっかりしていたところであったのだ。
「ええか、ちゃんと読んで来いよ。当てるけえのお」
パンヤ先生は、容赦ない。これには、さすがのエヴァンジェリスト少年も、心中ではあったが、
「(ええ~っ!!!)」
という声を上げざるを得なかった。
「(どういうことだ?読んできて、当てられる?)」
そうだ。パンヤ先生は、エヴァンジェリスト少年が疑問として心中ながら口にしたことを仰ったのだ。
「(先生は、説明をしてくれないのか?)」
エヴァンジェリスト少年は、ギョロッとしたパンヤ先生の眼を見た。
「(何の説明をしてくれず、何も知らないことを自分で勉強してきて、次の授業で発表しないといけないのか?)」
濡れたような光を放つパンヤ先生の眼は、エヴァンジェリスト少年の理解が外れていないことを示していた。容赦なさを体現した眼であった。
「なんやあー!」
「つーまらん!」
「たいぎいのお!」
生徒たちは、口々に不満を露わにする。
「お前ら、五月蝿い!」
パンヤ先生の一喝で、教室は静まり返った。
「ええか、とにかく、来週までに、ルールブック読んできて、説明せえ。当てるけえ、ちゃんと説明できるようにしとけよ!」
(続く)
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