『少年』は、1965年に始まった日本サッカー・リーグに影響された次兄であるヒモくんがテレビで日本サッカー・リーグの試合を見るのに当然のように付き合わされたが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その51]の続き)
「ええ~っ」
1968年、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)1年生であるエヴァンジェリスト少年のクラスの男子生徒たちは、一斉に不満の声を上げた。
「ええか!来週から、バスケットボールのルールの勉強するけえのお」
体育のパンヤ先生が、そう仰ったのだ。
「ええ~っ!」
1学期も2学期も、体育の授業では、ひたすら徒手体操をしてきたのだ。3学期になって、ようやくバスケットボールをさせてくれると喜んだのも、まさに束の間であった。
「なんやあ~!」
バスケットボールをするといっても、先ずは、実技ではなく、ルールの勉強と知った生徒たちは、配布された小冊子のルールブックを片手で持ち、パラパラさせ、不満を隠さない。
「お前ら、ちいたあ静かにせえ!」
パンヤ先生は、本気で怒る。
「(徒手体操ばっかりも嫌だったけど、バスケットボールもそんなに興味はないし)」
生徒の中で独り、エヴァンジェリスト少年だけは醒めていた。元々、彼は、『ハブテン少年』なのだ。少々のことでは動じない。だから、『ミナミショー』(広島市立皆実小学校)でも、『ミドリチュー』でも、先生たちもエヴァンジェリスト少年には一目置いていた。
「エヴァ君は、他の生徒とはモノが違うねえ」
しかし、エヴァンジェリスト少年は、いくら『ハブテン少年』で、優等生であっても、まだ『少年』ではあったのだ。まだまだ、甘いのだ。
パンヤ先生の次の一言で、自分の甘さを痛感させられたのである。
「ええか!来週までに………」
(続く)
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