『少年』は、『広島カープ』の『今津光男』内野手が、中日ドラゴンズから移籍し1965年からカープの選手となったものの、1965年も1966年も、当時の他の多くのカープの選手同様、いい打率を残すことはできなかったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その44]の続き)
「エヴァ、腕をまっすぐに伸ばせ!」
と云って、パンヤ先生は、エヴァンジェリスト少年が脇から横に上げた腕を叩いた。
「あ、はい…….」
体育の授業だ。徒手体操を習っていたが、自分では、腕を真っ直ぐに伸ばしているつもりであったのだ。
「お前、まっすぐに伸ばせえや!」
「は、はい……」
「あれ、お前、どうして真っ直ぐ伸ばせんのんやあ?」
パンヤ先生は、エヴァンジェリスト少年の腕をとり、不思議そうに回した。
「なんじゃあ、お前、猿腕かあ」
パンヤ先生は、仕方なそうに息を吐いた。
「は?」
怒られるのかと怯えていたが(怒られる覚えはなかったのではあったが)、怒られるようではなかったので、ホッとした。しかし、
「(え?ボクが猿?)」
自分は美少年であるという自覚があったので、不満であった。しかし、それをおくびにも出さない。だって、『ハブテン』少年なのだから。それに、
「(でも、パンヤ先生は、『猿』と云ったのではなく、『サルウデ』と云ったように聞こえたぞ)」
しかし、『サルウデ』が何か知らなかった。
(続く)
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