2020年1月31日金曜日

うつり病に導かれ[その1]




「『武川和人』かあ…..」

と呟くと、ドクトル・ギャランドゥは、iPadを診察室の机の上に置いた。

「(だが、くだらんBlogだ)」

机に置かれたiPadの画面には、『ハブテン少年[その157]』というタイトルがつけられた文章があった。




「(何なんだ、この『んぐっ!』は!?)」

その文章の途中に妙な画像があった。老研究者が、顕微鏡を覗き込んでいる。

「(顕微鏡は懐かしいが…)」

問題は、その老研究者だ。いかにもスケベといった口髭を生やしているのだ。そして、その老研究者の顔の前に、白抜きで『んぐっ!』という文字が書かれているのだ。

「(この回の『ハブテン少年』の内容には、『んぐっ!』が出てきてはいないし、そんな内容ではないんだから、毎回貼ってある画像というかアイコラみたいなやつに『んぐっ!』と書く必要はないじゃないか!)」

確かに、『ハブテン少年[その157]』は、主人公エヴァンジェリスト少年が、『大人』になることへの拒否を描いており、そのBlogにしては、珍しく真面目な回であった。


普段は、巫山戯た要素しかないBlogなのだが、その回は、内容は真面目だが、画像はやはり意味もなく巫山戯たものであった。

「(何故、こんなくだらないとしか云いようがないBlogを毎日、チェックしているんだろう?)」

そうだ。ドクトル・ギャランドゥは、『プロの旅人』という小説のような、駄文のような、Blog出ないようなBlogを、毎日、開いてしまっているのだ。

「(あんな検索さえしなけりゃな)」

或る日、ドクトル・ギャランドゥは、テレビ番組で、讃岐うどんは食べるのではなく、飲むものだ、と云っているのを見て、ネットで『讃岐うどん 飲む』と検索してしまったのだ。すると、

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讃岐うどんは、飲む! - プロの旅人

2011/07/04 - エヴァンジェリスト氏が、神の使いとも思えぬ妄言を吐く「人間」であることは知っていたが、お下劣でもあるとは知らなかった。 「讃岐うどんは、飲むんですよ」. 久しぶりに訪れた高松で、一緒に出張したローラク・クイーン13世に云った氏のその ...

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というなんとも珍妙な表示の検索結果もあり、ついつい、それをクリックしてしまったのだ。


すると、そこには、

『うどんを飲むってねえ、食欲を満たすって云うよりも、肉体的な快感を覚えさせるんですよ』

とか

『喉が欲しがるんですよ。喉が』

といった巫山戯た、いや、お下劣なことが書かれていたのだ。

「なんじゃこりゃ!」

と思いつつも、『プロの旅人』の他の回も見てしまったのだ。

(続く)




2020年1月30日木曜日

募られて『スーパー・マン』!



「まさか、まさかですっ!」

特派員からのFaceTimeオーディオだ。

「なんだ、なんだ。五月蝿いなあ。頭がガンガンするじゃないか」

ビエール・トンミー氏は、ベッドに寝たまま肘をつき、iPhone X を手にしている。

「あの男がまさか、ですっ!」

特派員の唾がiPhone X 越しに飛んできそうだ。

「もう少し、穏やかに話せんか。11時間寝て起きたばかりなんだ」

瞼は半分閉じたような状態だ。

「大活躍ですっ!」
「はああ?」
「あの男が、大活躍しているんですっ!」
「あの男って、エヴァの奴か?」

この特派員は、エヴァンジェリスト氏の動向を探らせる為に派遣した特派員なのだから、訊くまでもないことであったが。

「スーパー・マンになってるんですっ!」
「な訳ないだろう。アイツは、去年(2019年)、勤めていた会社を再雇用満了で辞めた後、『ああ、もう何もしたくない』と、日がな一日、Macでエロ画像やエロ動画を見て過ごしているはずだ」
「それは、アナタでしょ?」
「うっ!知らん、知らん!それより、アイツは何を大活躍しているんだ?」
「スーパー・マンですっ!」
「アイツは、洋物のヒーローや映画には興味はなかったはずだぞ」
「手にはカートやカゴを持ち、大忙しですっ!」
「はああ?カートやカゴを持った『スーパーマン』なんて聞いたことないぞ」
「え?誰が、『スーパーマン』って云いました?」
「君だ。君がそう云ったのではないか」
「私は、『スーパー・マン』と云ったのですっ!」
「ふぁああ、まだ眠いのだ。訳の分からんことを云うな」
「『スーパー・マン』です!『スーパー』の『マン』(男)です」
「ああ、アイツのことなんか、もうどうでもいい」
「『スーパー』で募集があったのか、とインタビューしたんです」
「要するに、アイツは『スーパー』で働き始めたのだな」
「あの男曰く、募集があったのではなく、募られていたのだ、ということでした」
「くだらん!そんな訳の分からんことを云うには、云々(デンデン)爺さんくらいだ」
「今月(2020年1月)は、まだ実習ですが、来月(2月)から本格稼働だそうです。客が精算後に使う黄色いカゴをレジ後ろに補給し、精算が終り、レジ後ろに置かれた黒いカゴを回収するんだそうです。『補給・回収』が基本だそうです。入口に準備されたカートが少なくなったら、カートを補充するそうです。駐車場に置かれたままになったカートの回収もするそうです」
「アイツは本当にスーパーでカゴやカートの整理の仕事を始めたのだな…」
「販売している灯油の給油もしているそうです。18リットルが一番多く、次が20リットルだそうです。でも、『フリー』もあって、これが難しいそうです」
「なんだ、『フリー』って?」
「18リットル、20リットルと決められた容量ではなく、10リットルとか15リットルといった顧客希望の容量の給油のことだそうです。18リットル、20リットルは、あらかじめ用意されたボタンを押せばいいので、そんなに難しくないそうですが、『フリー』はメーターを見ながらストップする必要があり、これが難しんだそうです。先輩もそう云っているそうです」
「君は、やけに詳しいなあ」
「時給1000円だそうです。1回の勤務が3.5時間なので、1回で3500円です。交通費は出ません」
「本当にインタビューでアイツがそこまで喋ったのか?」
「カゴやカートの整理の担当の開店準備では、入口前に並べられた予備のカートにかけられたシートを取ることを忘れてはいけません」
「ううん?おかしいぞ。君、詳しすぎるぞ」
「屋上の駐車場に置かれたカートの回収は、一度に10-11台までです。それ以上だと、エレベーターに乗せられません」
「君は…..いや、お前は!」
「ふふ、ふふ、ふふふふふ!ようやく気付いたか!」
「エヴァ!」

特派員を装ってFaceTimeオーディオをかけてきたのは、他ならぬ友人であった。

「見よ!我の晴れ姿を!」

iPhone X の画面に『スーパー・マン』に変身した友人の画像が映った。



「友よ、来れ!我がスーパーに!そして、我にチップを!」


(おしまい)



2020年1月29日水曜日

ハブテン少年[その164=最終回]




少年』は、その前年(1969年)に放映が始まったテレビ・アニメ『ムーミン』の登場する『ムーミン』は、カバにしか見えない、とハブテた。

ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られると思ったが、ハブテた。


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「んぐっ!んぐっ!んぐっ!」

エヴァンジェリスト少年は、気付かない。

「Monsieur Evangelist!」

応接間にテーブルに置かれた文庫本の表紙の『おバカさん』である『ガストン・ボナパルト』が、そう叫んだようであったが、エヴァンジェリスト少年は、気付かない。

いや、

「Monsieur Evangelist!」

と、エヴァンジェリスト少年を怒鳴りつけたのは、文庫本の表紙の『おバカさん』である『ガストン・ボナパルト』ではなかった。

それから9年後のOK牧場大学の研究棟でのフランス文学専攻修士課程の講義だ。講師のネラン先生だ。ジョルジュ・ネラン(Georges Neyrand)神父、というか、先生だ。

「Monsieur Evangelist!」

と怒鳴られた学生は、驚いて、思わず立ち上がったが、

「……..」

何も応えることができなかった。

ネラン先生は、若い男に何か質問をしたらしかったが、なんとか(いや、何故か)そのことは理解できたものの、何を質問されているのか、理解できなかったのだ。

それ以前に、学生は、ネラン先生にあてられたことすらしばらく気づいていなかった。教室の窓際に座り、そこから下を見ていたのだ。好きな『〇〇子ちゃん』がそこを通りはしないのか見ていたのだ(『〇〇子ちゃん』は同期であったが、1年間、フランス留学をしていた為、その時は、1期下[大学4年]となっていた)。

だから、ネラン先生は、

「Monsieur Evangelist!」

と怒鳴ったのだ。

まるで、1970年の3月、エヴァンジェリスト少年が、自宅の応接間から、垣根と門越しに道路を見て、『パルファン』子さんを探していたように。

そうだ。ネラン先生に、

「Monsieur Evangelist!」

と怒鳴られた学生は、9年後のエヴァンジェリスト少年であった。そして、

「Monsieur Evangelist!」

と怒鳴ったネラン先生は、『おバカさん』の(つまり、『ガストン・ボナパルト』)のモデルとなった人であった。現実の「おバカさん」は、小説の「おバカさん」である『ガストン・ボナパルト』とはかなり違っていたのだが。

『ガストン・ボナパルト』は、馬面な風采の上がらぬフランス人で、「ふぁーい」と情けない声を出す男だが、現実の「おバカさん」は、恰幅のいい人であ理、学生に声も出させなくした威厳のある方であった。




「Monsieur Evangelist!」

時空を超えて、『おバカさん』に怒鳴られても、エヴァンジェリスト少年は気付かず、応接間の窓に鼻の頭をより擦り付けていっている。

帰宅する『パルファン』子さんの姿を待っていたのだ。彼女はなかなかそこを通らないが、網膜には常時、『パルファン』子さんの像が映っている。更に、そこを(自宅前を)通るはずがないであろうあの『肉感的な』少女の姿も、バレーをする太ももも露わなブルマ姿で、少年の股間の網膜には映っている。



「んぐっ!」

体ごと、いや、特に股間も応接間の全面窓に擦り付けている。

「んぐっ!んぐっ!」

頭は、『パルファン』子さんを求め、股間は、あの『肉感的な』少女を求めていた。

「んぐっ!んぐっ!んぐっ!」

倉本聰が『ハブテン』少年に『ハブテル』少年としての自我を自覚させ、遠藤周作が少年に、その自我の中の孤独を悲しい程に感じさせ始めていたが、その時のエヴァンジェリスト少年の内では、孤独よりも『本能』が優っていた。


(おしまい)



2020年1月28日火曜日

ハブテン少年[その163]




少年』は、その前年(1969年)に放映が始まったテレビ・アニメ『ムーミン』は、面白いギャグもないし、悪者をやっつけてスカっとすることもない、とハブテた。

ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られると思ったが、ハブテた。


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「ボーン!」

居間のソファに座り、ため息を漏らし、俯いていたエヴァンジェリスト少年が、その音に顔を上げた。

「ボーン!ボーン!ボーン!ボーン!」

子ども部屋の柱時計が5時を打った。



「(よし!)」

文庫本の『おバカさん』をテーブルに置き、腰を上げた。

「(そろそろかな?)」

応接間から、垣根と門越しに道路を見る。

「(まだか?いや、もう通ったのか?)」

帰宅する『パルファン』子さんの姿を待つが、彼女はなかなかそこを通らない。しかし、網膜には常時、『パルファン』子さんの像が映っている。

「んぐっ!」

そして、更に、そこを(自宅前を)通るはずがないであろうあの『肉感的な』少女の姿も、バレーをする太ももも露わなブルマ姿で、少年の股間の網膜には映っている。

「んぐっ!んぐっ!」

その時、遠藤周作の殺し屋『おバカさん』の『遠藤』の孤独も、フランソワ・モーリアックの『蝮の絡み合い』のルイの孤独も、そして、自らの孤独も、少年の脳裏からは消えていた。

いや、彼らの孤独は消えた訳ではない。消えるものではない。しかし……

「んぐっ!んぐっ!んぐっ!」

エヴァンジェリスト少年は、応接間の窓に鼻の頭を擦り付け、一心に垣根と門越しに道路を見ている。

「Monsieur Evangelist!」

テーブルに置かれた文庫本の表紙の『おバカさん』である『ガストン・ボナパルト』が、そう叫んだ。しかし……


(続く)



2020年1月27日月曜日

ハブテン少年[その162]




少年』は、その前年(1969年)に放映が始まったテレビ・アニメ『タイガーマスク』の主人公タイガーマスクは凄いが、実際にはこんなレスラーはいない、とハブテた(将来、アニメのタイガーマスクを凌駕するような本物の『ターガーマスク』(佐山聡)が登場するとは、その時、まだ知らなかった)。

ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られると思ったが、ハブテた。


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「(殺し屋『遠藤』か)」

『おバカさん』である『ガストン・ボナパルト』が、エヴァンジェリスト少年を捉えた。しかし、それ以上に、『ガストン・ボナパルト』が付きまとって離れない殺し屋『遠藤』のが、エヴァンジェリスト少年の心に巣くった。



「(自分を投影したのだな)」

殺し屋『遠藤』が、『おバカさん』の作者である遠藤周作の分身であることを理解することは、名前からして容易であった。

「(自身の分身に自らの名前を与えていることが、巫山戯ているようで面白かった訳ではない)」

殺し屋『遠藤』は、罪の人である。しかし、己の醜さを知っている。だから、孤独である。そのことに、エヴァンジェリスト少年は、堪らなくなった。

「(どうしてなんだ!?)」

何故、殺し屋『遠藤』という存在に堪らない気持ちになるのか、分らなかった。

「(……)」

少年はまだその時、気付かなかった。自らの孤独が、殺し屋『遠藤』の孤独に共感したのだということを。そして、遠藤周作が、フランスのカトリック作家フランソワ・モーリアックに影響を受けていることも、知る由がなかった。

更には、この『おバカさん』を切っ掛けに、『遠藤周作』を読み進めることにより、『フランソワ・モーリアック』を読むようになり、『フランソワ・モーリアック』をもっと読む為に、大学でフランス文学を専攻し、学部の卒業論文でも、修士論文でも『François MAURIAC論』を書くようになることを、まだ知らなかった。

『君は嘘をついていなかったんだ、この嘘つきめが!』

と妻について思う、ルイの言葉を幾度も読み返すようになることを、少年はまだその時、知らなかった。ルイは、フランソワ・モーリアックの『蝮の絡み合い』(Le nœud de vipères)の主人公だ。

『なんでもないの。あなたといるから』

と結婚前に妻が流した涙を愛の涙と勘違いしていたのだと、ルイは、後に思う。そのルイの孤独と同じものを、『おバカさん』を読んだ時に、感じとっていたことを、そう、殺し屋『遠藤』に感じとっていたことを少年はまだ、知らなかった。

ルイは、妻について、

『ああそうだ、君は、僕といたから泣いたのだ。僕といたからだったんだ。あの男じゃなくてな……』

と思う。その孤独の深さと同じ孤独を殺し屋『遠藤』に感じ、自らの孤独がそれに共鳴したことを、少年はまだその時、知らなかった。

「(殺し屋『遠藤』は、『ハブテテ』いる)」

確かにそうだ。兄が戦犯で死刑になったのに、本当に処刑されるべき連中が生きているのだ。

「(そりゃ、『ハブテル』さ。ボクだって…)」

眦をあげる母の顔が、両の口の端を横にぐいと引く父の顔が、したり顔に笑みを交わす大人たちの顔が眼前に浮かび、渦巻き、その渦の中で頭を抱えて蹲る自身の姿に目が回り始めた。

「ああ……」

それまで読んだ遠藤周作の小説とは、趣を異にするユーモア小説、中間小説と思って読み始めた『おバカさん』が、そんな小説のジャンルなんぞどうでもいい程にエヴァンジェリスト少年に、少年らしからぬ深いため息をつかせた。

その時………


(続く)




2020年1月26日日曜日

ハブテン少年[その161]




少年』は、その前年(1969年)に放映が始まったテレビ・アニメ『タイガーマスク』の主人公タイガーマスクは強いが、実際にはアントニオ猪木の方が強い、とハブテた。

ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られると思ったが、ハブテた。


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「(巫山戯てるなあ)」

と思いながらも、顔は怒ってはいない。むしろ、

「(ガストン・ボナパルトかあ)」

皇帝ナポレオンの末裔という嘘か誠かわからぬ設定を愉しんでいるようだ。『ガストン・ボナパルト』は、しかし、ナポレオンとは似ても似つかぬ、風采も上がらぬ、弱虫な『おバカさん』だ。それも愉しい。

「(これ、本当に遠藤周作なのか?)」

『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)を卒業し、高校入学までの春休みを過ごす少年が読んでいる文庫本のタイトルは、『おバカさん』であった。遠藤周作の小説である。

「(これが、『白い人・黄色人』や『海と毒薬』の遠藤周作なのか?)」

エヴァンジェリスト少年は、暗くて詰まらない、そして、内容がよく理解できない、それまで読んだ遠藤周作の小説と、今手にしている小説とのギャップに驚き、戸惑っていた。でも、戸惑いつつも思う。

「(こっちの方が面白い。こっちなら面白い)」

エヴァンジェリスト少年は、まだその時、『白い人・黄色人』や『海と毒薬』も、『おバカさん』も、いずれも『遠藤周作』的世界のものであることを知らなかった。

「(キリストなのかあ)」

キリスト教のことはよく知らなかったが、『ガストン・ボナパルト』の化身であろうと思えた。遠藤周作が、カトリック作家であることは知っていた。

「(弱虫で、『力』はないけど)」

宗教文学は、遠藤周作の作品以外、読んだことはなかったが、『おバカさん』に宗教臭は感じない。ましてや、『ガストン・ボナパルト』は、所謂、『神』的な存在とは程遠い存在である。しかし、『ガストン・ボナパルト』を、遠藤周作は、キリストとしていることは感じ取った。

「(『おバカさん』なキリストかあ)」


弱虫で、『力』のない『おバカさん』が、遠藤周作にとってのキリストであることが、『ハブテル』少年の心を捉えた。

「(普通ではない……)」

普通ではないからだ。『ガストン・ボナパルト』を、ありきたりの、常識的な、世間的な、皆が思うような、そんな存在としていないことが、『ハブテル』少年の心のありようと同期したのだ。


(続く)


2020年1月25日土曜日

ハブテン少年[その160]




少年』は、その前年(1969年)に放映が始まったテレビ・アニメ『タイガーマスク』は面白くなくはないが、本当のプロレスの方が面白い、とハブテた。

ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られると思ったが、ハブテた。


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(結局、あの後、何も云ってくれなかったわ)」

1970年の『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の卒業式で、下級生たちに拍手で送られながら体育館を出て行く3年生の中に、エヴァンジェリスト少年を見つけた少女は、そう思っていたかもしれない。

「(でも、アタシがいけないのね)」

少女は、自らを責めていたかもしれない。

「(『ボクと付き合ってくれないか?!』って云われた時、アタシは心の中ですぐに返事したの、『はい!』って)」

廃線となった宇品線を超えた旭町の狭隘な道で向き合った情景を思い浮かべていたかもしれない。

「(でも、口では、『….考えます』と云ってしまったんだもの!)」

少女は、唇を噛んでいたように見えたかもしれない。


そして、もう一人の少女は、

「(アタシ、知ってたわ)」

やはりエヴァンジェリスト少年を見つけ、そう思っていたかもしれない。

「(バレーコートの横を通る時、見ていたでしょ、アタシの太ももを)」

と思いながら、あの『肉感的な』少女は、自らの太ももに電気のようなものが走るのを感じたかもしれない。

「(お尻だって、横目で見ていての、知ってるわ)」

と、誰かに見られているかのように、後ろ手でお尻を隠す仕草をしたかもしれない。

「(制服の胸が揺れるのも見ていたでしょ、窓越しに)」

音楽室の出入口前のスペースで、他の男子生徒と何か体を絡めるようなことをしながら、顔だけは、窓の向こうの本校舎の教室の自分を凝視める少年のことを思い出していたかもしれない。

「(ううん、嫌じゃなかったの。もっと、もっと見ていて欲しかったの)」

しかし………

「バチバチバチバチバチバチ!」

という拍手に送られ、体育館を出たエヴァンジェリスト少年の『ミドリチュー』生活は、こうして幕を下ろした。


(続く)





2020年1月24日金曜日

ハブテン少年[その159]




『『少年』は、その前年(1969年)に放映が始まったテレビ・アニメ『ムーミン』も、なんだかほのぼのとしていてつまらない、とハブテた。

ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られると思ったが、ハブテた。


************************





「いやあ、ちょっといいですかあ!」

まくしたてる上司の声よりも大きな声で、エヴァンジェリスト少年が、いや、エヴァンジェリスト氏が、いやいや、エヴァンジェリスト少年が叫んだ。

「そんなの全然、論理的じゃあないでしょう!」

叫ばれた上司だけではなく、会議室にいる全員が、怯んだ。

「(何故、ボクがこんなことを云わないといけないんだ!)」

エヴァンジェリスト少年は、定年となり、再雇用で会社に残っていた。再雇用満了までも遠くはなかった。最後くらい、穏やかなサラリーマン生活を送りたかった。


「(でも、ボクは抑えられない)」

エヴァンジェリスト少年は、彼が少年でなくなっても、65歳が近くなっても『少年』であった。

「(みんな、ぼくより若いのに、何故、『若く』ないのだろう?)」

しかし………

「バチバチバチバチバチバチ!」

と、1970年の『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の卒業式で、下級生たちに拍手で送られながら、体育館を出て行く時、エヴァンジェリスト少年は、まだ知らなかった。

「バチバチバチバチバチバチ!」

『大人』とは、大人だけのことではなく、『青春(若さ)』は、若者だけの特権だけではないことをまだ知らないのであった。

「♬ああ、むーなしく、ゆたーかな、オトナーに、なーりたくない♫」

拍手の音は聞こえず、エヴァンジェリスト少年の耳にだけは、森山良子の歌声(『山本直純』作曲・『倉本聰』作詞)が響いていた。


(続く)