少年』は、その前年(1969年)に放映が始まったテレビ・アニメ『ムーミン』は、面白いギャグもないし、悪者をやっつけてスカっとすることもない、とハブテた。
ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られると思ったが、ハブテた。
************************
(ハブテン少年[その162]の続き)
「ボーン!」
居間のソファに座り、ため息を漏らし、俯いていたエヴァンジェリスト少年が、その音に顔を上げた。
「ボーン!ボーン!ボーン!ボーン!」
子ども部屋の柱時計が5時を打った。
「(よし!)」
文庫本の『おバカさん』をテーブルに置き、腰を上げた。
「(そろそろかな?)」
応接間から、垣根と門越しに道路を見る。
「(まだか?いや、もう通ったのか?)」
帰宅する『パルファン』子さんの姿を待つが、彼女はなかなかそこを通らない。しかし、網膜には常時、『パルファン』子さんの像が映っている。
「んぐっ!」
そして、更に、そこを(自宅前を)通るはずがないであろうあの『肉感的な』少女の姿も、バレーをする太ももも露わなブルマ姿で、少年の股間の網膜には映っている。
「んぐっ!んぐっ!」
その時、遠藤周作の殺し屋『おバカさん』の『遠藤』の孤独も、フランソワ・モーリアックの『蝮の絡み合い』のルイの孤独も、そして、自らの孤独も、少年の脳裏からは消えていた。
いや、彼らの孤独は消えた訳ではない。消えるものではない。しかし……
「んぐっ!んぐっ!んぐっ!」
エヴァンジェリスト少年は、応接間の窓に鼻の頭を擦り付け、一心に垣根と門越しに道路を見ている。
「Monsieur Evangelist!」
テーブルに置かれた文庫本の表紙の『おバカさん』である『ガストン・ボナパルト』が、そう叫んだ。しかし……
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿