『少年』は、当時(1967-1969年頃)、人気となっていたグループ・サウンズの一つである『ザ・カーナビッツ』のヒット曲『好きさ好きさ好きさ』という曲のどこがいいのか分らなかったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ(そもそもハブテルことでもなかった)。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その137]の続き)
「嫌です!」
エヴァンジェリスト少年は、きっぱり断った。
「無理です!」
エヴァンジェリスト少年は、もう、大人の命令にただただ従順に従う少年ではなくなっていた。
「できません!」
先生に対して、はっきり宣言した。
「(一緒に溺れてしまう)」
山口県光市で行われた『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の臨海学校で、助手となった3年生のエヴァンジェリスト少年に、パンヤ先生ではない体育教師が、少年の受け持ったクラスの1年生の生徒たちを一人一人、岸から数メートル先のところまで連れて行くよう指示をしたのだ。
「(ボク、一人でも行くのは嫌だ!)」
瀬戸内海は、遠浅ではないので、岸から数メートル先の海では、足が海底につかない。
「(足がつかなかったら溺れるじゃないか!)」
一人でも溺れるかもしれないのに、そこにまだようやくバタ足でなんとか泳げるようになったばかりの1年生を自分が連れて泳いで岸から離れるなんて、そんな怖いことは真っ平御免であった。
「(この子たちをなんとか泳げるようにしただけで十分じゃないか)」
確かにそうであった。エヴァンジェリスト少年が受け持ったのは、カナヅチの少年たちであった(体育と同じで、臨海学校のクラスも男女別であった)。
「ボクがついてる。怖くないから顔を水につけて」
海面が腰までこないくらいのところまで海に入り、後輩一人一人、両手を取り、そう声をかけて、顔を見ず(海)につけさせることから始めた。
「そうそう、その調子!」
一人一人、そう励ましながら、ビート板を持ったバタ足の練習を繰り返し、ビート板なしでもバタ足で少し進めるようにさせることができた。
「(ボクは、理論なら把握しているんだ)」
臨海学校の助手の特訓で、地元広島にある大学で体育の講師をしているというオジイチャン先生から、水泳の理論は徹底的に叩き込まれたのだ。助手となる3年生の中で、その理論を一番把握したのが、エヴァンジェリスト少年であった。それは、体育というよりも、理屈の学問であった。
「(息つぎはできないけど、理論なら大丈夫だ)」
そして、その理論通り、臨海学校では、受け持ったクラス5人のカナヅチの1年生をなんとかバタ足で泳げるようにまでしたのであった。しかし……
「嫌です!」
受け持ったクラスの1年生の生徒たちを一人一人、岸から数メートル先のところまで連れて行くことだけは、断固として拒否した。助手に対する特訓で水泳の理論は会得したが、実技としての水泳に対しては、苦手克服とはいかなかったのだ。
「無理です!できません!」
ただただ怖くて嫌なことを拒否しただけであったが、砂浜で胸を張り毅然とした態度をとる少年を遠くから凝視める少女がいた。
「(エヴァ君!)」
1年生の女子生徒を助手として教える『ユートミー』子さんは、少し離れたところで何故か胸を張る愛しの少年に、心も体も奪われていた。
「(んぐっ!)」
そして、その年の文化祭でもまた、エヴァンジェリスト少年の輝く姿に、『ユートミー』子さんも、他の女子生徒たちも、失神しそうになるのであった。当時(1969年の頃)、グループ・サウンズのファンで『流行った』ように。
(続く)
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