2020年1月9日木曜日

ハブテン少年[その144]




『少年』は、当時(1960年代)、人気のイギリスのバンド『ザ・ビートルズ』が唄う『ヤロー・ソコリン』と訳の分らない歌が、実は『イエロー・サブマリン』という歌であり、『イエロー・サブマリン』と唄っていることを知り、『そうは聞こえない』、とハブテた。

ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られると思ったが、ハブテた。


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「♬なみーきよ、さかーあよ♫」

夏休みの間、エヴァンジェリスト少年の頭に中には、その年(1969年)、『禁じられた恋』というヒット曲を出した森山良子の歌声が響いていた。

「(題名ほどに面白くはなかったんだけど…)」

その歌は、中学時代、読みふけっていた石坂洋次郎の小説の一つ『颱風とざくろ』を原作としたテレビ・ドラマの挿入歌であった。

「(台風を『颱風』と書くと、なんだか特別な感じがする)」



題名の意味するものをよく理解できなかったが、石坂洋次郎の小説の中でも、題名としては秀逸であるように感じた。しかし、内容としては、特別に面白いものではなく、題名が秀逸である分、少しがっかりする内容のような気がしていたのだが…..

「(でも、このドラマは、違う!)」

日本テレビ系で放映されたテレビ・ドラマ『颱風とざくろ』は、面白いを超えた衝撃をエヴァンジェリスト少年に与えていた。

「(ふーん、『クラモト・ソウ』っていうのか)」

そのドラマで初めて、『倉本聰』という脚本家の存在を知った。いや、脚本家なるものを初めて意識したのが、テレビ・ドラマ『颱風とざくろ』であった。

「(これは、石坂洋次郎の『颱風とざくろ』ではない」)」

と思ったし、実際、原作とは大きくかけ離れたオリジナル・ドラマのようであったが、エヴァンジェリスト少年には、それは決して嫌なことではなかった。また、監督は、『藤田繁矢』であり、そして、それは後の『藤田敏八』であったが、そのことを知ったのは、ずっとずっと後年のことである。

「(主題歌もいいけど…..)」

『颱風とざくろ』の主題歌は、やはり森山良子が唄う『あこがれ』という歌であった。作曲は、優れた作曲家『山本直純』であり、さすがに印象に残る曲であった。また、作詞は、『小谷夏』という人であり、そして、それは当時TBSの演出家・プロデューサーであった『久世光彦』の作詞家としての名前であったが(TBSの社員が日本テレビのドラマの主題歌の作詞をするなんて妙であるが)、そのことを知ったのは、ずっとずっと後年のことである。

「(でも、やはりこの歌がいい)」

と思ったのは、これも『山本直純』作曲で、森山良子が唄う、

「♬なみーきよ、さかーあよ♫」

という、『颱風とざくろ』の挿入歌であった。ドラマのテーマを象徴する歌であった。

「ああ….」

エヴァンジェリスト少年は、その歌を聴くと、そう声を出さざるを得なかった。

「♬でもぼーくは、かたくなーに、おさなさーをむねにだきー♫」

そこに、自身を投影していたのだ。教師に、親に反発する自身の姿を、そのドラマに、その歌に見ていたのだ。

「♬ああ、むーなしく、ゆたーかな、オトナーに、なーりたくない♫」

『大人』になってきていた少年を、でも、『大人』になることを拒否する少年の心を描いて見せたのが、テレビ・ドラマ『颱風とざくろ』の脚本を書いた『倉本聰』であった。

「♬オトナーに、なーりたくない♫」

そして、テレビ・ドラマ『颱風とざくろ』の挿入歌の詩も書いた『倉本聰』が、石坂洋次郎に替わって、エヴァンジェリスト少年の心を捉えていったのだ。


(続く)


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