少年』は、その前年(1969年)に放映が始まったテレビ・アニメ『タイガーマスク』の主人公タイガーマスクは強いが、実際にはアントニオ猪木の方が強い、とハブテた。
ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られると思ったが、ハブテた。
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(ハブテン少年[その160]の続き)
「(巫山戯てるなあ)」
と思いながらも、顔は怒ってはいない。むしろ、
「(ガストン・ボナパルトかあ)」
皇帝ナポレオンの末裔という嘘か誠かわからぬ設定を愉しんでいるようだ。『ガストン・ボナパルト』は、しかし、ナポレオンとは似ても似つかぬ、風采も上がらぬ、弱虫な『おバカさん』だ。それも愉しい。
「(これ、本当に遠藤周作なのか?)」
『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)を卒業し、高校入学までの春休みを過ごす少年が読んでいる文庫本のタイトルは、『おバカさん』であった。遠藤周作の小説である。
「(これが、『白い人・黄色人』や『海と毒薬』の遠藤周作なのか?)」
エヴァンジェリスト少年は、暗くて詰まらない、そして、内容がよく理解できない、それまで読んだ遠藤周作の小説と、今手にしている小説とのギャップに驚き、戸惑っていた。でも、戸惑いつつも思う。
「(こっちの方が面白い。こっちなら面白い)」
エヴァンジェリスト少年は、まだその時、『白い人・黄色人』や『海と毒薬』も、『おバカさん』も、いずれも『遠藤周作』的世界のものであることを知らなかった。
「(キリストなのかあ)」
キリスト教のことはよく知らなかったが、『ガストン・ボナパルト』の化身であろうと思えた。遠藤周作が、カトリック作家であることは知っていた。
「(弱虫で、『力』はないけど)」
宗教文学は、遠藤周作の作品以外、読んだことはなかったが、『おバカさん』に宗教臭は感じない。ましてや、『ガストン・ボナパルト』は、所謂、『神』的な存在とは程遠い存在である。しかし、『ガストン・ボナパルト』を、遠藤周作は、キリストとしていることは感じ取った。
「(『おバカさん』なキリストかあ)」
弱虫で、『力』のない『おバカさん』が、遠藤周作にとってのキリストであることが、『ハブテル』少年の心を捉えた。
「(普通ではない……)」
普通ではないからだ。『ガストン・ボナパルト』を、ありきたりの、常識的な、世間的な、皆が思うような、そんな存在としていないことが、『ハブテル』少年の心のありようと同期したのだ。
(続く)
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