『少年』は、その年(1969年)に放映が始まったテレビ・ドラマ『水戸黄門』の主演が、少し前に30分番組ながら同じテレビ局で放映されたテレビ・ドラマ『水戸黄門』の主演を務めた月形龍之介ではなく、東野英治郎であることにハブテた。
ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られると思ったが、ハブテた。
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(ハブテン少年[その154]の続き)
「♬あおーげばあー♫」
と、唄いながら、彼の頭の中には、別の歌が流れていた。
「♬でもぼーくは、かたくなーに、おさなさーをむねにだきー♫」
1970年、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の卒業式であった。『石坂洋次郎』を卒業したエヴァンジェリスト少年は、中学も卒業しようとしていた。
「(みんな、型通りだ)」
卒業式での校長の挨拶も在校生代表の送辞も卒業生代表の答辞も、何もかもが、型通りのものであった。
「(詰まらない)」
少年は、『普通』であることが嫌で仕方なくなっていた。『倉本聰』脚本の『颱風とざくろ』が、少年をそうさせたのではない。
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に云われ、ずっと『ハブテン』いい子で来たが、それは少年の実の姿ではなかったのだ。
「ボクと付き合ってくれないか?!」
と、『パルファン』子さんに告白したのは、少年の内なる衝動がそうさせたのだ。それまでの14年間、『ハブテン』いい子でいようと抑えてきたものが抑えきれなくなったのだ。
だから、親の反発を招くことを承知していながら、
「自衛隊は違憲に決ってるじゃない」
という言葉を発するしかなくなったのだ。
そして、テレビで貧相なある老人に対して人々が、手を振ったり、万歳をしたり、涙したり、拝んでいるのを見て、
「別に偉くもない人を有り難がるのは変だよ」
という言葉が、口から出ることを止めることができなかったのだ。
「(大人たちは、うやむやの内に作られた自衛隊を、自衛の為だから仕方ない、と思っているのだ。自衛の為なら戦争をしても仕方ない、と思っているのだ。でも、侵略の為に軍隊を持っているとしていると思っている国があるのだろうか?)」
親の平手打ちを頬に受けても、その思いは消えなかった。
「(民主主義の国の国民が、かつての為政者を、つまり、自分たちを虐げてきた者のことを有り難がるのは、大人たちがそう刷り込まれてきたからなのだろう)」
再び、親の平手打ちを頬に受けても、己の自虐を自覚していない大人たちへの反発心は増すだけであった。
少年は、もう『ハブテン』少年ではなく、『ハブテル』少年であった。いや、少年は、本来、『ハブテル』少年であったのだ。『倉本聰』が、少年をより『ハブテル』少年とはしたのであったが。
(続く)
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