少年』は、その前年(1969年)に放映が始まったテレビ・アニメ『ムーミン』の登場する『ムーミン』は、カバにしか見えない、とハブテた。
ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られると思ったが、ハブテた。
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(ハブテン少年[その163]の続き)
「んぐっ!んぐっ!んぐっ!」
エヴァンジェリスト少年は、気付かない。
「Monsieur Evangelist!」
応接間にテーブルに置かれた文庫本の表紙の『おバカさん』である『ガストン・ボナパルト』が、そう叫んだようであったが、エヴァンジェリスト少年は、気付かない。
いや、
「Monsieur Evangelist!」
と、エヴァンジェリスト少年を怒鳴りつけたのは、文庫本の表紙の『おバカさん』である『ガストン・ボナパルト』ではなかった。
それから9年後のOK牧場大学の研究棟でのフランス文学専攻修士課程の講義だ。講師のネラン先生だ。ジョルジュ・ネラン(Georges Neyrand)神父、というか、先生だ。
「Monsieur Evangelist!」
と怒鳴られた学生は、驚いて、思わず立ち上がったが、
「……..」
何も応えることができなかった。
ネラン先生は、若い男に何か質問をしたらしかったが、なんとか(いや、何故か)そのことは理解できたものの、何を質問されているのか、理解できなかったのだ。
それ以前に、学生は、ネラン先生にあてられたことすらしばらく気づいていなかった。教室の窓際に座り、そこから下を見ていたのだ。好きな『〇〇子ちゃん』がそこを通りはしないのか見ていたのだ(『〇〇子ちゃん』は同期であったが、1年間、フランス留学をしていた為、その時は、1期下[大学4年]となっていた)。
だから、ネラン先生は、
「Monsieur Evangelist!」
と怒鳴ったのだ。
まるで、1970年の3月、エヴァンジェリスト少年が、自宅の応接間から、垣根と門越しに道路を見て、『パルファン』子さんを探していたように。
そうだ。ネラン先生に、
「Monsieur Evangelist!」
と怒鳴られた学生は、9年後のエヴァンジェリスト少年であった。そして、
「Monsieur Evangelist!」
と怒鳴ったネラン先生は、『おバカさん』の(つまり、『ガストン・ボナパルト』)のモデルとなった人であった。現実の「おバカさん」は、小説の「おバカさん」である『ガストン・ボナパルト』とはかなり違っていたのだが。
『ガストン・ボナパルト』は、馬面な風采の上がらぬフランス人で、「ふぁーい」と情けない声を出す男だが、現実の「おバカさん」は、恰幅のいい人であ理、学生に声も出させなくした威厳のある方であった。
「Monsieur Evangelist!」
時空を超えて、『おバカさん』に怒鳴られても、エヴァンジェリスト少年は気付かず、応接間の窓に鼻の頭をより擦り付けていっている。
帰宅する『パルファン』子さんの姿を待っていたのだ。彼女はなかなかそこを通らないが、網膜には常時、『パルファン』子さんの像が映っている。更に、そこを(自宅前を)通るはずがないであろうあの『肉感的な』少女の姿も、バレーをする太ももも露わなブルマ姿で、少年の股間の網膜には映っている。
「んぐっ!」
体ごと、いや、特に股間も応接間の全面窓に擦り付けている。
「んぐっ!んぐっ!」
頭は、『パルファン』子さんを求め、股間は、あの『肉感的な』少女を求めていた。
「んぐっ!んぐっ!んぐっ!」
倉本聰が『ハブテン』少年に『ハブテル』少年としての自我を自覚させ、遠藤周作が少年に、その自我の中の孤独を悲しい程に感じさせ始めていたが、その時のエヴァンジェリスト少年の内では、孤独よりも『本能』が優っていた。
(おしまい)
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