『少年』は、その前年(1969年)に放映が始まったテレビ・アニメ『サザエさん』は、なんだかほのぼのとしていてつまらない、とハブテた。
ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られると思ったが、ハブテた。
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(ハブテン少年[その157]の続き)
「(君たちは、どうして抗わないのだ?!)」
60歳を過ぎたエヴァンジェリスト少年は、いや、エヴァンジェリスト氏は、いやいや、エヴァンジェリスト少年は、会議室で、無茶をまくしたてる上司を前にただ俯く会社の後輩たちを見て思う。
「(君たちは、今、何歳なのだ?)」
エヴァンジェリスト少年の部署の後輩たちは、彼よりも20歳程若い。もっと若く30歳代、20歳代の者もいる。
「(いや、君たちだけではないか……)」
自分の世代の者たちのことを思い浮かべる。自衛隊も、当然のようにその存在を認め、貧相な老人の子どもやその一族を有り難がる同世代の者たちのことを恥じる。
「(ミスター・シューベルトは違ったが)」
その2-3年前、通勤途中に心筋梗塞で急逝した先輩だけは違った。上司であれ部下であれ、先輩であれ後輩であれ、間違っていると思っていることに関しては、口角に泡を立てて詰問した。
「(子どもだった。あの人は、『大人』になれなかった。いや、『大人』になることを拒否した人だった)」
しかし、だから、ミスター・シューベルトは、会社の主流から外された。
「(でも、ボクは、あの人を尊敬する)」
ミスター・シューベルトは、主流から外される前に開発した商品で業界に『革新』をもたらした。主流から外された後も、自身のできる限られた範囲の中で他にはない商品を開発し続けた。だが、社内の地位は、若手と変わらないところまで落とされた。
「(『結果』を残したからではない。己を曲げない人だったからだ)」
『倉本聰』脚本の『わが青春のとき』で、主人公の『武川和人』と自分の娘とを別れさせようとする『加島』は、己を曲げない『武川和人』に対して、
「家内や倅は、あの時、あなたを見捨てたようです」
としながらも、
「私は正直いってあの時から、-あなたにある種の好意を持ってしまった」
と云ったことを思い出す。
「(だが君たちは……)」
俯いたままの後輩たちを睨むエヴァンジェリスト少年の頭の中に、
「♬でもぼーくは、かたくなーに、おさなさーをむねにだきー♫」
1970年の『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の卒業式の時のように、森山良子の歌声(『山本直純』作曲・『倉本聰』作詞)が響いていた。
(続く)
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