少年』は、その前年(1969年)に放映が始まったテレビ・アニメ『タイガーマスク』の主人公タイガーマスクは凄いが、実際にはこんなレスラーはいない、とハブテた(将来、アニメのタイガーマスクを凌駕するような本物の『ターガーマスク』(佐山聡)が登場するとは、その時、まだ知らなかった)。
ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られると思ったが、ハブテた。
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(ハブテン少年[その161]の続き)
「(殺し屋『遠藤』か)」
『おバカさん』である『ガストン・ボナパルト』が、エヴァンジェリスト少年を捉えた。しかし、それ以上に、『ガストン・ボナパルト』が付きまとって離れない殺し屋『遠藤』のが、エヴァンジェリスト少年の心に巣くった。
「(自分を投影したのだな)」
殺し屋『遠藤』が、『おバカさん』の作者である遠藤周作の分身であることを理解することは、名前からして容易であった。
「(自身の分身に自らの名前を与えていることが、巫山戯ているようで面白かった訳ではない)」
殺し屋『遠藤』は、罪の人である。しかし、己の醜さを知っている。だから、孤独である。そのことに、エヴァンジェリスト少年は、堪らなくなった。
「(どうしてなんだ!?)」
何故、殺し屋『遠藤』という存在に堪らない気持ちになるのか、分らなかった。
「(……)」
少年はまだその時、気付かなかった。自らの孤独が、殺し屋『遠藤』の孤独に共感したのだということを。そして、遠藤周作が、フランスのカトリック作家フランソワ・モーリアックに影響を受けていることも、知る由がなかった。
更には、この『おバカさん』を切っ掛けに、『遠藤周作』を読み進めることにより、『フランソワ・モーリアック』を読むようになり、『フランソワ・モーリアック』をもっと読む為に、大学でフランス文学を専攻し、学部の卒業論文でも、修士論文でも『François MAURIAC論』を書くようになることを、まだ知らなかった。
『君は嘘をついていなかったんだ、この嘘つきめが!』
と妻について思う、ルイの言葉を幾度も読み返すようになることを、少年はまだその時、知らなかった。ルイは、フランソワ・モーリアックの『蝮の絡み合い』(Le nœud de vipères)の主人公だ。
『なんでもないの。あなたといるから』
と結婚前に妻が流した涙を愛の涙と勘違いしていたのだと、ルイは、後に思う。そのルイの孤独と同じものを、『おバカさん』を読んだ時に、感じとっていたことを、そう、殺し屋『遠藤』に感じとっていたことを少年はまだ、知らなかった。
ルイは、妻について、
『ああそうだ、君は、僕といたから泣いたのだ。僕といたからだったんだ。あの男じゃなくてな……』
と思う。その孤独の深さと同じ孤独を殺し屋『遠藤』に感じ、自らの孤独がそれに共鳴したことを、少年はまだその時、知らなかった。
「(殺し屋『遠藤』は、『ハブテテ』いる)」
確かにそうだ。兄が戦犯で死刑になったのに、本当に処刑されるべき連中が生きているのだ。
「(そりゃ、『ハブテル』さ。ボクだって…)」
眦をあげる母の顔が、両の口の端を横にぐいと引く父の顔が、したり顔に笑みを交わす大人たちの顔が眼前に浮かび、渦巻き、その渦の中で頭を抱えて蹲る自身の姿に目が回り始めた。
「ああ……」
それまで読んだ遠藤周作の小説とは、趣を異にするユーモア小説、中間小説と思って読み始めた『おバカさん』が、そんな小説のジャンルなんぞどうでもいい程にエヴァンジェリスト少年に、少年らしからぬ深いため息をつかせた。
その時………
(続く)
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