2020年7月8日水曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その58]






「おい、アベックもいるぞっ!」

店内を見渡していたエヴァンジェリスト氏が、一滴、唾をテーブルに飛ばした。客の大半が若い女性である『Eggs'n Things』湘南江の島店には、僅かだが、男女のカップルの客もいた。

「年寄り臭い云い方はよせ。今は、『アベック』なんて云わないぞ。」




ビエール・トンミー氏は、テーブルに付いた唾を見ながら、友人を諭した。

「おお、さすがフランス語経済学の『優』取得者であるなあ。確かに、『アベック』は、『avec』でフランス語の前置詞に過ぎないものなあ。英語なら、まあ『with』だ。それを名詞として使うのは間違っている」
「そうだぞ、フランス文学修士。言葉は正確に使わんとな。今は、『カップル』って云うんだ」

二人の老人は、毎度の互いへの虚しい礼賛に飽きることがない。

「君も、幾度もここに『カップル』とやらで来たのだろう。この色男めが!」
「う…」
「ほほー、図星だな。お洒落な店でメロメロにしてえ」
「いや…」
「ふふん、その後で…おお、このスケベめ!」

友人の頬に影が走ったことに、勝手に隠微な妄想に走るエヴァンジェリスト氏は気付かなかった。

「(確かに、『みさを』ともここに来た…そして、ああ、下心もあったことは否定はできないが…)」


(続く)


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