2020年7月31日金曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その73]






「坐禅はせん」

江ノ電『長谷』駅を出て北上する歩道で立ち止ったエヴァンジェリスト氏は、坐禅を勧めるビエール・トンミー氏に、きっぱりとそう云った。

「いいか、君は、病気だ。『仕事依存症』だ。『仕事依存症』は、立派な病気なんだ。だが、ただ薬を飲めば治る病ではないんだ」

ビエール・トンミー氏は、医者ではなかったが、その言葉に躊躇はなかった。

「心を空にするんだ。仕事のことを忘れる、というよりも、心から仕事を消すんだ。仕事のことも他のことも総て消すんだ」

病の友人に坐禅を勧めるビエール・トンミー氏は、僧侶ではなく、坐禅を知っている訳でもなかったが、その言葉に躊躇はなかった。

「嫌だ。坐禅はせん!」
「坐禅したことないだろ?」
「いや、ある」
「えっ、そうなのか?」
「昔、そう35-6歳の頃だったか、元宇品で坐禅を組んだことがある」




「元宇品って、広島の宇品か?」
「ああ、宇品に橋でつながっている小さな島だ。まあ、そのつながっている感じで云うと、広島の江ノ島みたいなところだ」
「ボクは行ったことがないなあ」
「その元宇品の観音寺で坐禅を組んだことがあるんだ」
「ふーん、若い頃には、少しは信仰心のような清い心を持っていたのか」
「そんなものは持ち合わせん。カトリック作家のフランソワ・モーリアック(François MAURIAC)が好きで研究をしたが、別にカトリックでもないしな」
「じゃあ、どうして元宇品で坐禅をしたんだ?」
「ドイツ人のせいだ」
「はああ?」


(続く)

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