「おお、すまん、すまん。他の来館者に迷惑だったな」
と、エヴァンジェリスト氏は、テレビ・ドラマ『非情のライセンス』の主題歌『非情の街』を歌うのを止めた。
「ああ、そうだ」
とは云ったものの、ビエール・トンミー氏は、自分が友人の歌に怒りを覚えた真の理由を知っていた。彼もまた、『己を見る男』であった。
「アタシもトゲがあるよ」
『みさを』は、ここ、鎌倉文学館のバラ園でそう云ったのだ。
「生きていくには、トゲだっているの」
友人が唄った歌詞と同じ言葉を『みさを』は、ここで云ったのだ。そして、その時の彼女の表情は、エヴァンジェリスト氏が唄った歌と同じように暗いものであったのだ。
「(あの時、ボクは、彼女の云っている意味が判らなかった…)」
バラにはトゲがあるように、美しい女にもトゲがある、とよく云われていることを云ったのに過ぎないのだろうと思った。
「(それにしては、彼女の表情は暗かった…)」
と、淡い紫のバラの花を凝視めていると、
「ここは、デートにはぴったりだな」
と、無邪気と云えば無邪気だが、他人の神経を逆撫でする言葉をエヴァンジェリスト氏が浴びせてきた。
「行くぞ!」
ビエール・トンミー氏は、友人に背を向け、歩いて行った。
(続く)
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