<注意>
ビエール・トンミー先生のiMessageによるベンツの『クラス講座』は、ベンツの幾つかの『クラス』に対して、またそのオーナーに対して、辛辣過ぎる評価があるかもしれないが、決して、それらのベンツ、のオーナーを侮辱、差別をするものではない。
西洋美術史としてのビエール・トンミー先生の審美眼と、ハンカチ大学商学部卒の、しかも、SNCFの大家としてのビエール・トンミー先生のビジネス・センスとから、あくまで個人としての評価を述べるものである。
長年のベンツ・オーナーであるビエール・トンミー先生は、総ての『クラス』のベンツとそのオーナーを愛している。ベンツは、『評価』をするに値するクルマなのだ。『評価』をするに値しないモノについては、ビエール・トンミー先生は、言葉一つ吐くことはない。
[ベンツのカースト制度(続き4)]
「は?『サボタージュ』?」
生徒エヴァンジェリスト氏は、ビエール・トンミー先生がiMessageで教えてきたポルトガルの『サウダージ』という概念について、またもや惚けた反応をしてみせた。
「あんさん、ポルトガルに対して失礼やで。かつての大国ポルトガルが栄光を取り戻そうとあくせくしとらんのは、サボっとるんやのうて、大人やからや。ワテはそう思うで。『サウダージ』はなあ、なんちゅうて表現したええか、分からんが、まあ、こういうことちゃうかな。『二度と帰らぬ優しい時よ、若き日は夢のように消え、定めの幕のその前に天使が微笑みかける』やないかなあ」
「なんですか、それ?」
「誰かの詩や。まあ、それは置いといてやなあ、ポルトガル語の『カスト』(casta)はなあ、『種族』とか『血統』とかいう意味やねん」
「それが、インドの『カースト』と、ガンディーとどう関係してるんですか?」
「ガンジーにとって、『カースト制度』は、差別の為の階級制度やのうて、インドの伝統的な職域の制度みたいなもんやったのかもしれへんのや。支配国イギリスから押し付けれられる近代的なものに対するアンチ・テーゼとして、インドの血統からくる共同体的な分業社会として『カースト制度』を肯定しとったのかもしれへん」
「なんか分ったようでよく分らない理屈のように思えますが」
「今のインド憲法かて、『カースト』は否定しとらん。禁止されとるんは、『カースト』に基づく差別なんやで。つまり、悪いのは『カースト制度』やのうて、『カースト制度』に基づく差別や、ちゅうことやな」
「だったら、そもそもの『カースト制度』をなくせばいいんじゃないですか?」
「せやから云うたやろ。『カースト』は、『カスト』(血統)やて。生れついてのもんやねん。それは消去はできんのや。『ベンツ』の『カースト制度』も、ガンジーが捉えとったかもしれへん『カースト制度』と同じやねん」
「それって、まやかしではありませんか?だって、先生は…」
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿