<注意>
ビエール・トンミー先生のiMessageによるベンツの『クラス講座』は、ベンツの幾つかの『クラス』に対して、またそのオーナーに対して、辛辣過ぎる評価があるかもしれないが、決して、それらのベンツ、のオーナーを侮辱、差別をするものではない。
西洋美術史としてのビエール・トンミー先生の審美眼と、ハンカチ大学商学部卒の、しかも、SNCFの大家としてのビエール・トンミー先生のビジネス・センスとから、あくまで個人としての評価を述べるものである。
長年のベンツ・オーナーであるビエール・トンミー先生は、総ての『クラス』のベンツとそのオーナーを愛している。ベンツは、『評価』をするに値するクルマなのだ。『評価』をするに値しないモノについては、ビエール・トンミー先生は、言葉一つ吐くことはない。
[ナンバープレートのカースト制度(続き7)]
「あんさんにとっての千葉は、千葉は千葉でも南柏やろ。確かに、あそこは、あんさんがいた頃、そう、1973年やからオイルショックの年やな、どえらい田舎やったな。それに、あんさんのアパートも酷いもんやったなあ」
練馬同様、生徒エヴァンジェリスト氏が評価しないクルマのナンバー・プレートの『一般』カーストに属する千葉について、ビエール・トンミー先生は、iMessageで言及する。
「その酷いアパートに転がり込んできていたのは、どなたでしたかね?」
「蟻問題やらネグリジェ問題やらあったんやったなあ。いずれ『プロの旅人』の『治療の旅』で取り上げられんのやろけど」
「ネグリジェは、先生もご覧になりたかったんでしょ?」
「それはそやけど、まあ、南柏には色々問題があったにせよ、あそこは千葉の代表やないで。南柏での諸問題をもって、千葉が広島と同列はあかん、と云うのは云い過ぎや。広島かてそやで」
「え?広島かてそやで、とは?」
「ワテがいた頃の、つまりやな、1979年前後の広島はなあ、広島市の北限は牛田やった。それより北は、広島(市)やあらへなんだ」
「先生がいた頃の広島市って、いわば旧・広島市ですね。先生や私が広島を出た後に広島市に編入された今の安佐北区・安佐南区・安芸区・佐伯区は、広島(市)ではない、というお考えですね。でも、それって差別ではありませんか?」
「あんさん、まだ判ってへんなあ。これも一種の『カースト』や。『血統』の問題で差別とはちゃうねん。それにな、その安佐なんとか区かて『広島』のナンバープレートやろ。それは『一般』カーストの範疇や。その範疇での地域『カースト』や。ナンバープレートの『カースト制度』には、もっと下があんねん」
(続く)
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