<注意>
ビエール・トンミー先生のiMessageによるベンツの『クラス講座』は、ベンツの幾つかの『クラス』に対して、またそのオーナーに対して、辛辣過ぎる評価があるかもしれないが、決して、それらのベンツ、のオーナーを侮辱、差別をするものではない。
西洋美術史としてのビエール・トンミー先生の審美眼と、ハンカチ大学商学部卒の、しかも、SNCFの大家としてのビエール・トンミー先生のビジネス・センスとから、あくまで個人としての評価を述べるものである。
長年のベンツ・オーナーであるビエール・トンミー先生は、総ての『クラス』のベンツとそのオーナーを愛している。ベンツは、『評価』をするに値するクルマなのだ。『評価』をするに値しないモノについては、ビエール・トンミー先生は、言葉一つ吐くことはない。
ビエール・トンミー先生は、時に、ベンツ以外のクルマについても忌憚なき発言をされる(あくまで個人としての評価だ)。この場合も、その対象が『評価』をするに値するクルマだからである。
[『初めて』を捧げたビートル(続き9)]
「せや、ワテが『ビートル』を気にするようになったんは、アメリカ経由なんや」
と云うビエール・トンミー先生の視線は、遠い過去に向いていることが、iMessageながら感じ取れたことであろう。ビエール・トンミー先生の生徒エヴァンジェリスト氏に対するiMessageによるベンツの講義は、ビエール・トンミー先生が最初に乗っていたクルマである『ビートル』関するものとなっていた。
「え?アメリカ嫌いの先生が?」
「別に、アメリカ嫌いやあらへん。アメ車を嫌いなんは、確かやが、西海岸で若者がビートルの背中にサーフボードを背負わせて走っとるの、格好エカッタで」
「へええ、先生って、意外にミーハーなんですね。どこか、愚息に似ています。愚息は、今年(2021年)初めに、電動キックボードを購入したようです」
「なんやて!?電動キックボード?あんなもん、いつ何処で何の為に使うんや?」
「さあ、知りません」
「アンタ、自分の息子の情報、どこで仕入れたんや?本人から聞いたんとはちゃうな」
「愚息は、夫婦でお正月に来ただけで、その後、拙宅には来ていません。正月に自宅に帰る際に、『また、来年!』と云っていたくらいですので」
「ああ、また、息子のTwitter盗み見たんやな」
「盗み見はしていません。堂々と見ています。Twitterは通常は、そもそも世に公表しているものですから、盗み見という概念は適用されません。それに、先生だって、私の愚息のTwitterをご覧になったことはあるでしょうに」
「アンタが無理矢理見るように仕向けたんやないけ。にしても、アンタの息子の新しもん好きは、まあ、なかなかのもんやな。ちょっとは見習わなアカンかもな。ワテが、『ビートル』を気にし出したんは、『POPYE」ちゅう雑誌がきっかけや」
「『POPYE』って雑誌、名前しか知りませんでしたが、ミーハーな雑誌というイメージがあります」
「おっと、それは、あくまでアンタの個人的見解やな。『POPYE』は、なかなかエエ雑誌やあ、思うで。もう、何年も読んどらんけどな」
「先生、何を慌ててらっしゃるんですか?先生と私との間のこのiMessageが『プロの旅人』ででも公開されているのですか?」
「それを訊きたいんは、こっちの方やで」
「若い頃の先生は、私の知らないところで、今の愚息的にミーハーでいらしたのですね」
「『POPYE』は、創刊号からアメリカ西海岸の『ビートル』人気が特集やったな。丁度、ワテが大学3年の頃で、『POPYE』見て、免許取ったら『ビートル買うで』と思ったんや」
「その頃、私が愛読していたのは、雑誌というか週刊タブロイド紙の『週刊ファイト』でした。例の『I編集長』のプロレス紙です」
「『ビートル』はな、日本では最初は、『ワーゲン』と呼ばれとって、お医者さんのクルマというイメージやったんや。けどな、アメリカの人気が伝わってくると、いつも間にか呼び名も『ビートル』になったんや」
「そのミーハー『ビートル』に、先生の『初めて』を捧げたのに、何故、今は『ビートル』にお乗りなっていないのですか?」
「もう云うたやろがあ」
(続く)
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