<注意>
ビエール・トンミー先生のiMessageによるベンツの『クラス講座』は、ベンツの幾つかの『クラス』に対して、またそのオーナーに対して、辛辣過ぎる評価があるかもしれないが、決して、それらのベンツ、のオーナーを侮辱、差別をするものではない。
西洋美術史としてのビエール・トンミー先生の審美眼と、ハンカチ大学商学部卒の、しかも、SNCFの大家としてのビエール・トンミー先生のビジネス・センスとから、あくまで個人としての評価を述べるものである。
長年のベンツ・オーナーであるビエール・トンミー先生は、総ての『クラス』のベンツとそのオーナーを愛している。ベンツは、『評価』をするに値するクルマなのだ。『評価』をするに値しないモノについては、ビエール・トンミー先生は、言葉一つ吐くことはない。
ビエール・トンミー先生は、時に、ベンツ以外のクルマについても忌憚なき発言をされる(あくまで個人としての評価だ)。この場合も、その対象が『評価』をするに値するクルマだからである。
[ユージローなブルーバード]
「へ?」
というエヴァンジェリスト氏からビエール・トンミー先生へのiMessageは、文字通り『屁』のような間抜けなものであった。ビエール・トンミー先生の生徒エヴァンジェリスト氏に対するiMessageによるベンツの講義は、ビエール・トンミー先生が最初に乗っていたクルマであり、お気に入りであった『ビートル』関するものとなっていたが、生徒エヴァンジェリスト氏は、『ビートル』が生産中止になったからベンツに乗り換えたのだろう、と訊いたところ、『ちゃうで』と、にべもなく否定されたのだ。
「ワテ、『ビートル』2台乗った後に乗ったんは、ベンツやあらへんねん」
「ええ!?『ビートル』とベンツ以外のクルマにも手を出したのですか?」
「なんや、『手を出した』あいうんは。云い方が、オゲレツやで。『他のクルマにも乗ったんか』云えばええんや」
「しかし、『乗る』という表現の方が、なんだか卑猥ではありませんか?」
「クルマは『乗る』もんやで。それのどこが卑猥なんや。アンタ、『乗る』いう言葉で何を連想してんのや。アンタの思考方法そのものがオゲレツなんや」
「で、要するに、『ビートル』2台乗った後に、どういうクルマにお乗りに(ウフッ)なったのですか?」
「やめえな、『ウフッ』ちゅうんは。それに、要するにもなんも、アンタが余計なこと云いだすさかい、話が進まんだけや。ワテが、『ビートル』2台乗った後に乗ったんは、『ブルーバード』なんや」
「ええ、それは意外です」
「まあ、『ビートル』ともベンツとも全然ちゃうクルマやな」
「ああ、でも、分りました」
「何、勝手に分ってんねん?」
「なんだかんだ仰ってても、先生には、『ひろまし』愛があるのですね?」
「はあ?はああああ?今、何、云うた?」
「先生には、『ひろまし』愛がおありなんですね、と申し上げたのですよ」
「なんや、『ひろまし』て?」
「『広島』のことですよ」
「『広島』がいつから『ひろまし』になったんや?アンタ、大丈夫か?」
「2021年8月6日からです」
「なんや、ついこの前のことやないか。自分の出身地のことで巫山戯んのは止めた方がエエんやないか?」
「巫山戯てませんよ、先生。なんだか、『ガースー』というエラい人が(どこがエラいのか知りませんが)、『広島』のことを『ひろまし』と云ったんだそうです」
「ホンマか?ワテ、新体操ばっかしテレビで見てたさかい、知らへんかった」
「おお、律儀に新体操を見ていらしたんですね」
「『ガースー』は、ホンマに(本気で)『ひろまし』と云い腐ったんか?」
「『ガースー』というエラい人には、『原爆ドーム』は、げんぱつドーム』と読むことも教わりました」
「なんやてえ!」
「先生、お怒りですね」
「そりゃせやろが」
(続く)
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